いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2011年06月19日(日) ご苦労様!蒲田消防団操法発表会

 今日、日曜日も行事が目白押しである。もっとも大きなものは「蒲田消防団消防操法発表会」である。これは毎年行われている行事で、蒲田消防署管内にある7つの分団が、ポンプの操作方法につき、消火までの時間や、動作につき競うものだ。

 この発表会が近づくと、選手に選ばれた団員は毎晩、生業の後、練習に励む。5名の選手の連携が、分団の名誉を勝ち取るので、みな真剣、必死である。

 消防団と言えば、今回の東日本大震災で、消防官とともに、大活躍が報じられている。また、その使命感故、任務達成のため殉職された方々も少なくない。東北三県で死亡された消防団員は192名、いまだ57名の団員が行方不明である。

 なぜ、命をかけてまで‥と、疑問に思うかもしれない。予備自衛官として、訓練を受けている立場からすれば、その答えは「使命感」だと思う。守らなければいけない人々がいる、街がある。自分がやらねば、誰がやる。消防団員に限らず、被災地で働くすべての人々が共通に思っている気持ちだろう。

気仙沼漁港の近くで目撃した消防団の被災車両

 さて、各分団の操法の合間に、パネル展示を拝見した。そして、あるパネルの前で足がとまった。そのパネルの文字を追うにすれ、目から涙が止まらなくなってしまった。それは、3月11日の震災直後から気仙沼市に支援に入った東京消防庁緊急援助隊の隊員と、気仙沼消防署隊員の肉筆の手紙だった。

 気仙沼消防署の隊員からの手紙には、以下のようにあった。(要旨)

震災後の絶望的な火災と戦っている中、心が萎えてしまいそうになっていた。そんな時、遠方から50台を超える、東京消防庁の緊急援助隊の車列の赤色灯が見えた。「これで大丈夫」と、本当にありがたかった。皆さんの絵支援がなかったら、とても対応できなかった。もし、東京に震災が起こったら、われわれも真っ先に飛んでいく。

 テレビで見た、炎に包まれた気仙沼市の現場で、必死に火災と戦っていた人々がいたこと。そして、自分たちの力ではどうにもなならい状況で、苦闘しながらがんばっていた地元消防官。その必死の努力を応援すべく、到着した50台の車列。嬉しかっただろうな〜。頼もしかっただろうな〜

 その光景、気仙沼消防署の皆さんの大きな歓声を想うと、この文章を書いていても涙がとまらない。国民の生命財産を守るため、どこにでも出かける消防魂に脱帽である。きっと、われわれが知らない多くのドラマが被災地では、当たり前のように繰り広げられていたに違いない。

 パネルの前で立ちすくんでいると、地元の消防署出張所長が声をかけてきた。事情を話し、私自身が気仙沼に出かけた時携帯で撮影した写真をお見せした。その中の1枚に彼は「同期ですよ」と。5日間ご一緒した、東京都医療救護班の課長さん、東京消防庁からの出向とは聞いていたが、偶然である。

 議員だと言うことは黙って参加した、と伝えると「彼はわかっていたと思います。大森消防署につい最近までいましたから」とも。あちゃ、バレてたのか!!

 さて、操法発表会は順調に進み、7つの分団に成績がつけられ、優勝、準優勝、3位が発表された。そして、残る4分団には優良分団表彰が贈られた。無論、操法を競う訳だから、順位はやむを得ない。しかし、順位以前に「人のために尽くす」心意気は、全分団、全団員が「優勝」に値するだろう。



 消防団員の夫が、人々を守るため避難の人とは反対の海に向かい、水門を閉めて殉職された奥様が語っていた言葉はすばらしい。「消防団に入っていなければ‥とも思いました。でも、あの人は消防団に入っていなくても、海に向かって人助けをしていたと思う。」ご冥福とご家族の生活再建を祈ってやまない。

 そして、本日がんばった蒲田消防団、さらに区内3消防団の日頃の活動に心から感謝申し上げる。

 


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