いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2011年05月03日(火) 憎きウサマビン・ラディン容疑者殺害!

 我が家の、私の人生を大きく変えた男、憎きウサマビン・ラディン容疑者が米軍特殊部隊により殺害された、とのニュースが飛び込んできた。

 私は昭和54年、22歳の頃より、旅行会社を経営していた。昭和の終わり頃は旅行業界でも些か有名で、イレブンPM、トウナイトをはじめ、NHK以外の民放テレビ各局、ラジオ、新聞、雑誌などに登場していた。

 この会社は、最盛期には、売り上げ20億円、店舗6店舗にまで成長した。ところが、平成13年9月11日の同時多発テロで、会社の経営は底なし沼へとおとしめられたのだ。

 売り上げは激減どころか、ほぼゼロ。従業員の給与、店舗の家賃、様々なリース料、銀行への返済など、収入はないのに支払いは変わらず来る状態が3ケ月ほど続いた。平成14年1月、もはやこれまで!と廃業を決意した。

 弁護士は債務の多さに自己破産を勧めたが、「借りた金を踏み倒すこと」は私の人生観に合わず、長期弁済を選択した。長女は私立の希望する中学校進学のため必死に勉強をしていたが、断念せざるを得なかった。

 長男は私立高校の3年生。なんとか卒業はさせたが、大学進学に失敗した彼は貧乏なオヤジを想ってか、浪人をせずに陸上自衛隊に入隊。

 そして、私は大田区議会初の「議員報酬差し押さえ」と、様々な経験をさせてもらった。その原因が、ウサマビン・ラディンである。

 ゴルゴ13が実在したら、本当にヤツを暗殺して欲しいと当時は真剣に恨んでいた。今や、あれから10年が過ぎようとしている。何件もあった借金の返済も順調にすすみ、いまでは金融機関と取引先のJTBだけにまで減った。

 いまさら、ウサマビン・ラディンが殺されても、なんら我が家の生活に影響はない。それどころか、ひょっとしたら不見識かもしれないが、彼は我が家の恩人かもしれない。

 彼のおかげで、長男は大学進学をあきらめ、陸上自衛官になった。そして、久里浜駐屯地で最愛の伴侶を見つけ、いまではハイチに、アフリカに、福島にと、任務に精励している。あの事件がなかったら、長男のこの人生はなかっただろう。

 長女はといえば、区立中学校で多く友人(彼氏)に出会い、いまでは将来の夢に向かって猛勉強の最中である。そのまま私立中学校に進学していたら、こんな頑張っただろうか。

 妻は、私の経営していた旅行会社の膨大な経理事務から開放され、月末の資金繰りに悩むこともなくなり、新たな道で趣味に仕事に実に楽しそうだ。

 私は、あの事件をきっかで、様々な経験をし、さらに強くなることが出来た。多分、たいていのことでは揺るがない自信もついた。詳しい事情も知らない某党のトンマな区議が、私が「借金を踏み倒している」と事実無根の誹謗中傷の文書を流したこともあったが、なんのそのである。

 我が家族も、この壊滅的破綻から「復興」するために、皆で力をあわせたため、賃貸住宅に住み、水道が止められ、ガスが止められる、などという最貧生活の中でも、より親密に仲良くなれたと思う。

 と考えると、この男ウサマビン・ラディンは、我が家にとって、憎き仇ではなく、幸せを運んでくれた「恩人」かもしれない。無論、彼によって最愛の家族や友人を奪われた人々の憎悪は当然のことであるし、彼の非人道的な我がままな行為を是認するつもりは毛頭ない。

 が、私の中からは、あの会社を潰された当時の、どうしようもない憎悪の念は、もはや存在しない。

 彼の殺害のニュースを聞いて、ひとつの時代が終わったという気持ちではあるが‥

 彼の死をきっかけに、世界中のテロが終息することを願ってやまない。

 

 


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