連休中に二度福島県へ救援物資をお届けに行ってきた。初日は福島県いわき市、昨日が福島県三春町だ。いずれも地震による被害よりも、原発30キロ圏内の方の避難所としての大変さ。また、原発事故による放射能風評被害のほうが問題のように感じた。
特に、救援物資の不足がマスコミで流されているが、ここ数日で自衛隊などにより急激に改善されている、というのが率直な感想だ。民間レベルによる支援物資集めは、そろそろいいかなとも感じた。
ある物資集積所では、45リットルのゴミ袋に入った古着が山積みにされ、古品の家庭用毛布も処狭しと倉庫を占領していた。たぶん、これらは「処分」されるのだろう。善意は理解できるが、やみくもに贈る「善意」は被災地の負担になる現実も見た。
昨日は、地元の東六郷二丁目町会の皆さんが自発的に集めて下さった支援物資を、原発近隣の住民2000名が避難してきた福島県三春町へお届けしてきた。二日間で、町会会館の一階が通れなくなるほどの物資が集まり、当初参加した「頑張れ日本全国行動委員会」の、第二陣の出発まで待っていられない状況になったのだ。
善意の物資を町会会館へ搬入
丁度昨日は朝から雨。これなら物資の寄付に来られる方も少なかろうと判断。さっそく、屋根付きのトラックを「無償」で提供してくれる方を探したが、祝日ということもあり、見つからない。止むなく蒲田のレンタカー屋さんから借りることに。燃料は、地元のスタンドが携行缶入りの経由を二缶用意して下さった。
大急ぎで所轄署で緊急車両の許可をとり、支援物資を求めていた福島県三春町の対策本部に連絡して午後一番に大田区を出発した。町会の役員さん二人と私、3名での出発だったが、携帯カメラを向けられるやら、万歳!といわれるやら、すごい「出発式」だった。
昨日お届けした支援物資で特筆すべきは、「子供用玩具」と「女性用化粧品」だ。避難当初は、食料や暖を取るための寝具などが必要だ。しかし、すでに、避難所生活が10日以上すぎると、行政で備蓄しているであろう物資ではない「生活支援」の物資が必要とされる。
それは「生き延びるための物資」ではなく、避難生活を快適に過ごしていただくための物資である。その意味では、子供用玩具、化粧品を提供してくださった区民の見識には脱帽である。
支援物資を検品する三春町の職員さん
今回の救援物資の支援では、さまざまなことを感じた。そのなかでも一番大きなものは、地域の底力である。何も代償を求めない町会の方々が、商店街に机を出し、チラシを作って、たった2日間で2トン車一台とバン1台満杯の物資を集めた。さらに、見も知らない匿名の多くの方々が、わざわざ買ってきたと思われる物資を置いていってくださる光景は感動であった。
また、物資を置いていく方々が、口ぐちに「ありがとう」と言われることも、さらに、さらに感激だった。本来、物を頂くのだから、こちらが「ありがとう」のはずだ。それが、くれる方が「ありがとう」なのだ。ありがたい人々の善意。この善意を被災地へお届けするという、使命はあまりにも重い。
三春町福祉会館前にて
今回の物資支援では、なるべく「いぬぶし」が前面に出ないように心がけた。それは、選挙目当てのパフオーマンスと見られ、多くの善意が色眼鏡で見られることを防ぎたかったからだ。が、残念ながら、そいう目で見る方もいたようだ。だが、その方々に言いたい。パフオーマンスだ?じゃあ、原発30キロまで2回も行けるか!
区民の方が「●●をしたい。だが、どうしていいかわからない」という時、自分が前面に出るのではなく、黒子として道筋をつける役目が議員だと、今回の物資支援活動を通じて痛感した。
本当に多くの善意に感謝。そして被災地で自らの家族の安全より、住民のために働く多くの人々の姿にも感謝、感謝である。お亡くなりになられた方々のご冥福と、被災された方の早期生活再建を心よりお祈り申し上げる。
****救援物資について****
個人レベルでの物資寄付は、そろそろ終結すべき時期にあると思われる。今後は、復興資金の寄付が効果的だろう。大田区では本庁舎、各出張所で寄付を受け付けている。この寄付は、日本赤十字社を通じ、被災地に届けられる。
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