いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2010年07月22日(木) さようなら!大切な家族「う〜太郎」逝く

 我が家は、大の動物好きである。子供たちが小さな頃は、ハームスターが家中にいて、多い時は12匹という時代もあった。そして、なぜか、セキセイインコが逃げ込んでくるという珍事が2回あり、そのうちの一羽は、えらく賢くて「ワタシハ、イヌブシピーコデス」と、鳥かごの中で話していた。

 さらに、昭和の終わりには、柴犬が我が家(マンション)の玄関あたりをうろついいて、いつのまにか居ついてしまった。彼女は「イヌブシ ワンコ」といって、その後13年以上にわたり、我が家の中心的存在として君臨していた。

 彼女の死後は、あまりにその存在が大きくて「もうペットは飼うまい」、と家族で思っていたのだが、長女が小学校6年生の時、近所のペット病院に「ミニウサギあげます」というポスターがあったのを見て、懇願され、うさぎを飼い始めた。このウサギは雌なのに、なぜか「う〜太郎」と名付けられてしまった。




 だいたい、ウサギなどというものは、鳴きもしないし、笑いもしないし可愛くない、と私は、あまり乗り気ではなかった。が、だ。飼いだしたら多分、私が一番仲良しだったのではないだろうか。最近などは、ネコ好きの荒木秀樹議員のネコちゃんの写真と、う〜太郎の写真を見せ合って「こっちのほうがカワイイだろう」などと自慢をしあっていた。

 彼女のお気に入りは、私のベットだ。ベットのうえでは、両足を伸ばして、まったく警戒心なく寝そべっている。また、お風呂も大好きな、ちょっと変わったウサギでもあった。



 撫でて欲しいと、頭を下げて「お願い」と寄ってくるし、腹がへるとゲージに体をぶつけて「飯よこせ!」とばかり怒る。干草や、エサなどは、湿気たものや、古いものには手をつけない、というグルメでもあった。口はきけないけれど、その気持ちは十分通じる、まさに家族だった。

 2ケ月ほど前に、前足を骨折して以来、身体が不自由になったが、それでも、ゲージのなかで食欲旺盛。とても9歳にもなる、ご老体には見えなかった。

 そして、今日、家族が揃って夕食を終え、彼女にエサをあげ、お尻をお湯で洗った直後、突然、痙攣を起こし、いままで聞いたことのない大きな声で鳴き、妻の手の中で逝ってしまった。数分前まで、エサを元気で食べていたのに。

 「わんこ」の時もそうだったが、家族全員が自宅に揃った日を選んだように、大声で「ワン」と鳴いて逝った。「う〜太郎」もそうだ。昨日や明日の夜だと私がいない。今日は、家族がみんないた。そして、ありったけの声をしぼって「さようなら」と言ったのだろう。

 遺体に花を供えるために、近所の店に出かけての帰路、南の夜空をみて驚愕した。なんと、雲の中に小さな月がある。雲の姿が、大きなウサギの顔、月がウサギの目のようになっているではないか。そして、だんだんと、雲が晴れると目が大きくなって、最後は、月だけになった。その一瞬だけ、月のまわりに雲があった。

 まるで、「う〜太郎」が夜空から「さようなら」と言っているように‥

 彼女は、平成13年の5月に我が家にきた。その後、同年9月11日の同時多発テロから始まった我が家の「大動乱」のすべてを見ていた家族でもある。
お金がなくて、ガスを止められた惨めさも見ていた。

 そんな極貧の生活の中でも、彼女をずっと変わらず、明るく家族を癒し続けてくれた。

 さようなら!う〜太郎。ありがとネ





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