2009年05月07日(木) |
今日は酒井俊明消防司令長のご命日 |
今から7年前に悲劇は起きた。平成14年5月7日午後4時20分、大田区京浜島にある不燃ゴミ処理センタ−が火災にあった。不燃ゴミが燃える、という冗談のような話だが、毎年結構あるらしい。それは、心無い人が不燃ごみに混入した花火だったり、ボンベだったりするそうである。→当時の私の日記
その火災発生の報を受け、地元消防とともに出動したのが、東京消防庁第二方面本部消防救助機動部隊機動特科隊である。率いる隊長酒井俊明消防司令補(事故後司令長)は、火災現場の中に突入した。ところが、あまりの黒煙に退路を塞がれ、殉職されたのだ。
当時私は、議員になって3年目。防災対策特別委員会の委員だった。大田区の施設(正確には23区清掃一部事務組合)での殉職であるから、区長の感謝状などで礼を尽くすべきだ、と関係部局に懇願したが、大田区の回答は「官公署はそれぞれの役割がある」との冷たいものだった。
そこで、消防団の荒木議員と助役と区長に直談判して「大田区長」の花輪をご葬儀に掲出することを承諾してもらった。荒木議員は、自ら逗子のご葬儀の会場まで駆けつけてくれた。
消防官に限らず、制服を着用して国民の生命財産を護ってくれている公務員の唯一のよりどころは、国民の尊敬と名誉であると思う。給与や待遇からしたら、事務職のほうがよほど割りがいい。しかし、自らの生命を賭けても使命を貫徹するインセンテイブ又はモチベ−ションの基本は「人の為」そして「名誉」であろう。
だからこそ、たかが「紙っぺら一枚」であっても、「名誉」のために表彰状なり、感謝状なりを大田区長には出して欲しかったのだ。町会役員や市民消火隊員など、年数がたてば区長名の「区政功労者」になれるのだから。ちなみに、わが妻も頂戴した。
事故後、殉職された現場を防災委員会で視察をした。まだススの残る暗く狭い事故現場では、酒井隊長が体験したであろう地獄絵が脳裏に浮かび、涙が出て思わず合掌したことを覚えている。ところが、その場で談笑していた区議が数人いたのは、議員以前に人として信じられない光景だった。
悲劇からすでに7年がたった。ご遺族にとって、どのような年月だったろうか。今、何事も無く平和に過ごしている我々の住む大田区の火災を、自らの命を賭けて護って下さった消防官がいらしたことを、我々区民は忘れてはならない。
故酒井俊明消防司令長のご冥福と、ご遺族のお幸せをご祈念申し上げる。
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