いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2008年12月15日(月) 空自イラク派遣部隊撤収開始!お疲れ様

 本日より、航空自衛隊イラク復興支援輸送航空隊が撤収をはじめた。平成15年7月の先遣隊派遣から5年、平成18年7月の陸自撤収後も、我が国の国際貢献の最先端として約200名の航空自衛官が黙々とその任務の達成にあたっていた。

 途中、本年4月には名古屋高等裁判所が判決理由のなかで「派遣は違憲」と述べるなど、様々な議論のまととなった。そもそも、「軍隊」を海外に派遣させる「理念」となる恒久法を作らず、その場限りの「特別措置法」などという時限立法により、誤魔化している政府の対応が、このような混乱を招いている。

 この判決を受けて、「現地の隊員は判決が出ても、命令の則って粛々と任務をこなしている。心情を代弁するなら、そんなの関係ねい!」と語った田母神幕僚長(当時)の言葉こそ、派遣隊員の声であったろうと思う。

 ミサイルが我が輸送機の前を白煙をあげて飛んでいった場面もあったと効く。着陸予定のバフダット空港がロケット攻撃を受け、着陸の可否につき、東京府中基地にいる、支援集団司令官に現地から連絡があったこともある。その時の司令官は流石である。「機長に判断を任せろ。責任は俺が取る。」

 平和な日本で、冷暖房完備の庁舎の中で、国会議員や裁判官が「あ-だ、こうだ」と議論している中、現地では命がけの行動が、「命令」のもと行われていた。その緊迫した状態を日本から判断することは不可能、として「機長に任せろ」と指揮した司令官は、なんともすばらしい。さらに、機長に責任を転嫁するおとなく、「責任は俺が」と、軍人として指揮官として当たり前だが、なかなか出来ない判断をされたことは、最大級の敬意に値する。

 そのような危険に何度も遭遇しながら、一人の犠牲者も出すことなく、飛行実績821回、輸送物資673トンという仕事を成し遂げたのだ。本当にお疲れ様でした。ありがとう!

 それにしても、麻生総理には、自衛隊の最高指揮官として「労いの言葉」と、輸送機の出迎えぐらいしてもよかったと思う。平和ボケの支持率激減のお坊ちゃんには無理か‥


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