いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2008年12月02日(火) 祝 生誕52周年!!

 我が国の伝統的作法は「控えめ」であろう。お歳暮など贈り物は「つまらないものですが‥」などと言う。アメリカ人にこんな挨拶をしたら怒られてしまう。なんで、つまらないものを選んできたんだ!と。「今日は最高にすばらしいプレゼントを持って来ました」とやらなければならない。

 しかし、我が国でも「控えめ」ではない人種がいる。それは「議員」という分類に入る人々である。彼等(私もだ!)は、控えめどころか、いかに自分は素晴らしいか、素晴らしい仕事をしているかを語らなければならない。

 そこで、その人種に所属する私としては、本日12月2日「いぬぶし秀一生誕52周年」を祝ってくれ!と、あえて「控えめ」にお願いしたい。

 昭和31年12月2日、戦争の傷跡が残っていた東京都下(昔は都下と呼んだ)北多摩郡国立町の内野産婦人科病院で、紅顔の美少年が誕生した。当日の父の日記には、喜びと「美少年」への賛辞の言葉が溢れていた。

 ついこの間まで、20歳だと思っていたし、ついこの間まで息子はオムツをしていた。いつの間にか、老眼鏡を買い、難聴になっちまった。息子は、いつの間にか父親になり、自動的に「ジイジ」という称号を頂戴することにもなってしまった。

 オヤジの存命年齢(享年42歳)を10年も超えたことには、なんんとなく不思議な「達成感」と「勝った」という気持ちがある。が、人生って結構短いもんだ、とも思う。

 その短い人生で、争ったり、妬んだり、出世競争をしたり、となんとも悲しいことだ。私は、今を大いに満喫している。夜寝るときに「ああ、今日も幸せだったな」と痛感しながら眠りにつける幸せに感謝だ。

 そのおおもとは、先祖であり、両親、とりわけ「ポジテイブな心」を教えてくれた父に感謝だ。さらには、多くの友人知人、支援してくださる方々、全国からこの日記を読んでくださる方々にも感謝をしなければならない。

 また、相手は「友人」とは思っていないだろうが、様々な場面で「お役人のDNA」を露呈して下さる大田区管理職の諸氏にも嫌味でなく感謝しなければなるまい。彼等の存在があるから、こんなチンピラ議員でも「存在感」を保つことが出来る。

 議会が正常に機能し、お役人が議会と緊張感を持って対峙していたら、私の存在は多分不要であろうし、つまらないから議員を辞めていたのではないかとも思う。

 そのように考えると、あらゆる人々に感謝。いや人々でけではない、あらゆる事象に感謝するべきだと思える。

 いささか抽象的な表現だが、52歳の誕生日を健康で幸せに迎えることができたこと-をSomething Greatさんに感謝すると共に、この52年間私に係わったすべての人々、すべての事柄に心から感謝したい。ありがとう!


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