2007年07月04日(水) |
小池百合子が防衛大臣だと〜!!!世も末 |
新生党や自由党(途中の新進党は除く)は、実に、いい政党だった。国会議員より我々地方議員のほうが数が少なく、常に国会議員と議論しながら、党の方針を決定していく土壌があった。おのずから、国会議員とも身近に接する機会が多くあり、その人柄、人徳などを判断できたのは、とてもいいチャンスだった。
その中でも極めつけは、小池百合子氏だ。拉致家族の会の招きで、日比谷公会堂でご挨拶を頂いたが、自分の挨拶の間は「満面の笑顔」、終わった途端に「自慢の足」を組、腕まで組んで「不愉快」顔。小沢さんにラブラブだったのに、政務次官に立場に恋々とし保守党に。そして2年後には、保守党も離脱して待望の自民党へ。以下、彼女の軌跡である。選挙区や政党などなんでもあり。自らの向上心が見たされれば‥
1992年7月 日本新党から比例区で参議院議員に初当選 ←参議院比例日本新党 1993年7月 日本新党から兵庫2区で衆議院議員 ←兵庫2区衆議院日本新党 1993年8月12日 総務政務次官に就任 1996年10月 新進党から兵庫6区で衆議院議員 ←兵庫6区衆議院新進党 1999年10月5日 経済企画総括政務次官に就任 ←自由党 2000年4月1日 自由党が政権離脱すると保守党設立与党に残る ←保守党 2000年4月5日 経済企画総括政務次官に再任 ←保守党 2000年6月 保守党から兵庫6区で衆議院議員 ←保守党 2002年12月 保守党を離脱。自由民主党に入党 ←自民党 2003年9月22日 環境大臣に就任(-11月19日) 2003年11月 自由民主党から近畿比例区で衆議院議員 ←自民比例区 2003年11月19日 環境大臣に再任(-2005年9月21日) 2004年9月27日 内閣府特命担当大臣兼任 2005年9月 自由民主党から東京10区で衆議院議員 ←自民東京10区 2005年9月21日 環境大臣・内閣府特命担当大臣に再任 2006年9月26日 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に就任 2007年7月4日 防衛大臣に就任
東京日比谷公会堂で、拉致被害者救出の全国大会が開催されたことがあった。その席に、来賓として招待された小池センセイ。拉致被害家族の訴えや、他の議員の挨拶の際には、ご自慢の「ミニスカート」の足を組み、腕まで組んで「つまらなそうなそぶり」。ご自分の出番になると、さも拉致問題の理解者のような「笑顔」。この変身振りには、多くの参加者があきれていた。
同様に、多くの女性国会議員が似たり寄ったりの「ワガママ」を披露されているのは何故だろうか。「オンナ」に依存して当選した、との思いは、票が少なかった私のヒガミ‥?
ある程度事情を知っていてたまげる「オンナ」議員。
財務省から国会入りしたS.K。お父様は私の地元にお住まい。個人情報なので理由は開示できないが、とんでもないオンナである。財務省は国会に「異動」してくれて祝宴を開いたとか‥
民主党比例から保守党衆議院小選挙区(落選)、自民比例区とわたり歩き、時の人となったE.Y。これも、到底、教育問題を語らせる資格なし。お嬢チャマ。(但し、年齢はオバアチャマ!)
東京某区議から都議落選、大阪小選挙区から当選の衆議院議員N.T。 実は、大前研一氏主宰の一新塾のOB,OG会で名刺交換をしたことがあるが、「同業」でもあり、自分の選挙区内に「票もなさそう」と判断すると、プイとばかり、別の席へ。まさかまさか、その後、都議に落選して、衆議院それも大阪に鞍替えとは‥
いずれの「オンナ」も、国を良くしたいのではなく「自分がより高い地位になりたい!」がミッションであることが共通項ではないだろうか。その証拠に、その選挙区や政党には、なんの未練もないのだ。どこでも、どの政党でも、バッチが欲しい‥
それにしても、かわいそうなのは24万人の自衛官!あっ失礼。そういえば、男でも「より高い地位になりたい」候補が、防衛省にいたな‥
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