いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2007年04月07日(土) 墓参の不思議

 私の父は、昭和42年8月1日、42歳の若さで病死した。私は父子家庭だったので、父は、早起きをして朝食と弁当を作り(当時は給食がなかった)出勤していった。夜も早めに帰宅し夕食は、ほとんど毎日一緒に食べていた。そんな父を見て、絶対に心配をかけてはいけない、と子供心に誓ったものだった。

 その優しい父親が逝ってしまって40年。盆暮れ、命日と墓参りをしていたが、いつの頃か毎月墓参に出かけるようになった。なるべく月命日1日に近い土日の早朝、相模原の霊園まで一人で行く。清清しい空気を吸い、暫しの父との語らいは、日常を忘れる楽しい時間でもある。

 今日は、再来週から始まる戦いの必勝のお願いと、孫(父にとっては曾孫)の写真を持っての墓参である。生きていたらきっと目を細めて喜んだろうと、墓前に向かって写真を見せた。と、墓の隅に見慣れないものがある。小さなおもちゃのミニカーだ。

 誰かが忘れたのか、カラスがくわえてきたのだろう、と考えては人生つまらない。きっと、墓の中の父が曾孫の誕生を祝ってくれたものに違いない。いや、絶対にそうだ。ありがたく頂いたことにして、ミニカーにもお線香を供えた。

 墓参には不思議なことが起きるものだ。平成6年に、松原仁代議士(当時は都議)に「新生党から区議に出ないか」との打診を受けた時も、最終決断は墓の前だった。父の遺影を持参し、墓の前で「オヤジ、どうしたらいいだろう」と、問いかけた。すると、遺影が前に倒れたのだ。

 「わかった、やれと言うんだね」と出馬を決断した。あの時、遺影が倒れていなければ、今私は区議会議員ではなかったと思う。口の悪い友人の中には「それは、やめろという意思表示だったのではないか」と言う輩もいるが、人生何事もいいほうにとらえたほうが楽しい。

 次回は、曾孫を連れて、戦いの「朗報」を持って来ます、と約束をして、戦地へ戻った。

 


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