いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2006年12月02日(土) 祝 いぬぶし生誕50周年!!!

 誰も祝ってくれないから、言っちまおう。本日、不肖わたくし、生誕50周年を迎えた。

 50年と言えば半世紀だ。よくぞ生きてきたと思う。父は、私が10歳の時、42歳の厄年で病死した。従って、42歳になるまでは、ずっと「いぬぶし42歳死亡説」というのを自分のどこかで信じていて、駆け足で人生を走ってきた。

 車は1メートルでも長いほうがいい、と米国ビバリーヒルの中古車屋に並んでいたリンカーンストレッチリムジン(ハワイでの結構式や、日本では怪しいご職業の方々が乗っているあれだ)を、自分で輸入して乗ったり、家は一坪でも大きいほうがいいと、3軒買い換えたりと、42歳まではぶっ飛ばしてきた。

 ところが、42歳では死ななかった。そのかわり、44歳のときに大災難がおとずれ、上述した価値観は奈落の底へ落ちた。セプテンバーイレブン、9.11同時多発テロの影響で、経営していた旅行会社の売り上げが激減。家は金融機関により売却され、車は小さなコルサになった。

 普通は、そこで相当落ちこんで、場合によっては命を絶ったりするのだろうが、幸いなことに、よい両親のもとに生まれたおかげで「天真爛漫」に育った。そりゃ、数ヶ月は、意気消沈していたが、すぐ復活。

 借金2億を超え、300年月賦で返しているのに、あまりに悲壮感がないものだから「いぬぶしの親は、相当の金持ちだから、会社潰してもどうってことない」とか、「あれは偽装倒産で、ウラに相当隠しているらしい」等というウワサが、街に飛び交った。

 いずれも、ウソで、父親は昭和42年に病死。母親とは、昭和47年以来絶縁状態で、昨年こちらも老衰で死亡。借金はいまだに、1億9千万はあるだろうか、一昨日の月末も金融機関、信用保証協会、民間会社等に、有り金しぼって返済したところだ。

 まあ、そんなことは、実は人生にとって、たいしたことではない、と、どん底を経験して痛感した。朝起きて、ご飯がおいしい、夜は、朗らかにビールが飲める。誰かが「あなたのお陰」と、感謝してくれる。そんな、あたりまえのことが、実は、とても大切なことで、幸せなことなんだ、と。オヤジの死んだ歳を越えたころから思えるようになった。

 生誕50周年にあたり、私を取り巻くすべての人々、物、大自然に深謝!
ありがとう。そして、これからも、よろしく!


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