いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2006年11月22日(水) ヒゲの隊長が語る「イラクに架けた信頼の架け橋」

 今日は、副会長をしている中小企業団体主催の講演会が区内で行われた。これは、区内中小企業の経営者が幅広い知識を得て、経営を活性化しようとの趣旨で行われているもので、今回は「イラクに架けた信頼の架け橋」と題し、元第一次イラク復興支援群長一等陸佐 佐藤正久氏の講演を行った。

 佐藤氏といっても、その顔を思い浮かべられる方は少ないだろうが「ヒゲの隊長」と言えば、あの人なつっこい迷彩服の姿を思い浮かべられることだろう。

 今回の講演会は、私が自衛隊出身ということから、講演依頼からはじまって連絡調整、会場手配、ケ−タリング、書籍手配などをすべて担当したので、じっくり講演を聞けなかったのが残念だった。以下、講演の一部である。

政府から与えられた支援項目は、医療、給水、公共施設の修復だったが、現地のニーズは、そんな限られたものではない。そこで、支援方針は日本で決めず、現地から素案を送るからそれを追認して欲しいと当時の石破防衛庁長官に懇願し認められた。

医療、給水、公共施設の修復というのは、本来の自衛隊の任務ではない。民間であったり、県庁などの仕事だ。そこで、私は「佐藤商会」の社長になろう、と思った。経営者として復興支援業務を行うことにした。佐藤商会の基本は、挨拶と食事である。

イラクでは、底抜けに明るい笑顔で挨拶をする。握手は両手で。佐藤商会では営業マン(部下)に、徹底してこれをやらせた。(講演では、イラク流男性同士のキスの仕方まで伝授された)中間管理職以上は、何事も常に徹底して行う、命がけで行う、という姿勢がなければだめだ。徹底して明るく挨拶をすることだ。日本に帰って銀座を歩いてがっかりした。日本人は暗い。みな下を向いて歩いている。外交はメシ、と言われる。食事をし自ら相手に情報提供しながら食べる。コーヒー、紅茶、コーラは残さず飲む。

今回の支援では、指揮官の柔軟性、創造性が求められた。継続は惰性なり、と知った。そして、リーダーは魚の目をもたねばならぬ。それは、潮の流れの変化を読む目である。

今までの、PKOや災害派遣は、自衛隊が主役だったが、今回の支援はイラク人が主役で、自衛隊は黒子に徹した。イラクの設計士が書いた図面に基づき、自衛隊が入札を行い、現地の人を雇用して作業をすすめた。(延べ現地雇用人員60万人)

今回の特徴は、一発の弾も発射しない武装集団、という点だろう。危機管理の基本は、撃たれない、撃たない環境の創造である。部下の隊員たちは、イラクで一発の重みを痛感をした。たった、一発撃つことにより、住民との信頼が崩れてしまうからだ。その結果、陸自支援デモがおこった。イラクの人々の感謝の涙を忘れることはできない。

 そして、最後にこう結ばれた。

信頼と安全は、頭を使って、使って、使って、自ら創るものである。国連や米軍が創ってくれるものではない。

 ふう〜!あまりの熱弁と、空調の切れた会場、準備作業で汗だくになってしまった。そして、懇親会。ヒゲの隊長さん、自ら佐藤商会流の笑顔で会場内をまわり握手と写真攻め。2次会までお付合い頂いた。

 佐藤1佐、講演をご快諾頂いた陸上幕僚監部、さらには、会場設営、器材貸し出し等後援頂いた大田区職員の皆さん、参加者の皆さん、扶桑社さん、ありがとう!!!

 



 < 過去  INDEX  未来 >


いぬぶし秀一 [MAIL] [HOMEPAGE]
 
↑今日の日記は気に入りましたか?
My追加