いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2006年11月10日(金) 俺じゃないよ!学校でビールを出すな、と言ったのは‥

 公務員の疑惑や、不祥事について激辛に語っていると、それを使って「いぬぶしがうるさいから○○するのは止めてくれ」と職員に指示する管理職が出てくる。これは、頭の悪い母親が、電車の中で騒いでいる我が子を叱ったよそのオヤジをだしにして、「ホラ、怖いおじさんがいるから、騒いじゃだめよ」と注意しているようなものだ。まあ、まともな事で使ってくれるならいいが、どうもおかしな使われ方をsているようだ。

 随分前には、ある文化センター(公民館のような施設)で、事務職員から「いぬぶしというウルサイ議員がいるから、事務室でTVを見るな、と上司に言われた」と、私が、その本人とも知らずにグチる。「そらりゃ、いぬぶしという議員はひでえヤツだね」と、応じてあげたが、私は、そんなことを言ったことはない。まあ、勤務中テレビを見るな、という注意は正しいので、特段、苦情は言わなかった。

 さて、今回利用の仕方は、いささか違うようだ。区内で様々な活動しているYさんからの情報だ。Yさんは、国旗国歌の大ファンで、この点では、大いに同調するのだが、なぜか他の区議の後援会幹部である。

 区立の小中学校で、記念行事、式典などの後に酒が出せなくなったのは、「いぬぶしのせい」だと、多くの学校関係者が思っており、顰蹙を買っている、というのだ。

 おいおい、誰がそんなこと言ったのよ!PTA役員の時代から、学校での行事の後の「適度なアルコール」は、おおいに結構と言い、最近、なぜ出さないんだ、と文句を言っている立場である。

 以前、本会議の質問で、教育行政の関わる区幹部の不適切な飲酒について、クギをさしたことはある。立場をわきまえた飲酒をされるように、と諭したもので、学校での飲酒をやめろと言ったのではない。

 一部のPTAや町会などからは、教育の場で飲酒は好ましくない、という「一見、正論」が語られるが、これは、本質を取り違えた偽善である。教員が喫煙して、生徒の喫煙を禁止できるか、というバカげた理論とも一致する。
学校で教育すべきは、社会性である。大人と子ども、教師と生徒、児童は違う、ということを教えるべきで、学校を「無菌室」にすることは、逃げであり、教育とは言わない。

 という訳で、学校でビールが出なくなったのは、私のせいではない。争いや面倒が嫌いな、教育委員会か、「汚点」がつかないように、気を使った学校長の姑息な判断だと思う。

 もっと、違うことに目を向けて欲しいものだ。何しろ、区内で問題校のは「1件だけ!」という報告が、まかり通る世界なのだから‥


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