2004年08月21日(土) |
犬伏家 ご本家の墓参り 墓参りぐらいしろよ! |
我が、犬伏家は、徳島県で長らく藍染め職人をしていたらしく、お墓は徳島市内にある。代々、街の振興に尽力した功績で職人でありながら苗字を名乗ることを殿様から許されていた、と聞いたことがある。
ところが、徳島には誰もいないので、千葉の市川に父の長兄(叔父)が墓を建て、徳島から分骨をしてきたのが昭和30年代。その墓に、私の父だけがフルボデイの骨壷に入って、昭和42年から平成6年まで居候をしていた。私も、その間は年3〜4回は墓参に行っていたが、平成6年に父の27回忌を期に墓を別に建てて以来、疎遠になっていた。
平成14年の会社廃業の際も、さすがに信用金庫も墓は差し押さえなかったし、売れ(そもそも転売できない)とも言ってこなかったので、いまだに、父の墓は健在で、毎月墓まいりにいっている。相模原の高台にある父のお墓と向き合う時間が、私は好きだ。
そこで気になったのが、以前お世話になった、市川のお墓だ。この墓を建てた叔父は、平成13年に逝去。叔母は痴呆がすすんでいると聞く。従兄弟は、市川に住んでいて、国立大学を卒業し、有名進学校の教員だ。まさか、お盆には行っているだろう、と思いつつ、一人出かけた。
市川市立霊園の一番広い墓地のエリアにある「犬伏家」の墓は、無残な姿だった。草ぼうぼう。3本ある常緑樹は伸び放題で墓石の字すら読めない。予期していた光景ではあったが、一瞬呆然とした。
気を取り直して、上着を脱ぎ、持参したハサミで「ニワカ庭師」に。3時間かけて、見違えるようになったお墓を見て、さっきの呆然とした気持ちは爽快な気分へと変わった。墓誌にある戒名をすべて写した。今後、我が家の仏壇で供養するためだ。
叔父は、東大を卒業して上場企業の役員を務めた。その長男は上記の教員、次男は慶応、長女は東京女子大、次女は日本女子大、と、それなりの教育一家だった。しかし、悲しいことに何か重要な教育を忘れていなかっただろうか。
大丈夫、ご先祖さんたち、俺が生きてる間は草抜いてあげるから!
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