2004年05月13日(木) |
ありゃ、小沢一郎氏民主党代表に! |
私が、区議会議員になった、『もっとも直接の理由』は、小沢一郎氏の存在だった。それは、平成6年のことだったと思う。かねてより親しくお付き合い頂いていた、都議会議員(当時)の松原仁氏より『自民党をやめて、小沢一郎氏の新生党に入る。ついては、大田支部の常任幹事になってくれ』との要請があった。
小沢一郎氏の、はっきりした政治姿勢には敬服していたし、松原氏の申し出もあって、『常任幹事』に就任した。それから、いつのまにか、『新生党初の区議会議員候補』となり、選挙前には、新生党がなくなり、新進党公認となった。
選挙前まで、必死に『新生党のいぬぶしで〜す』と、名刺もリーフレットを配り、選挙ポスターも「新生党公認」で作った。そ、それが‥あわてて、「新進党」のシールを作り対応したが、惨敗。
そして、新進党は自由党へ。松原仁氏は、自由党から、東京4区補欠選挙の際、民主党へ移り、私は自由党に残った。平成11年、平成15年と、二回の選挙は、自由党公認で戦い、当選した。しかし、流石に民主党へは行けなかった。
理由1.菅直人氏を総理にするなんぞは、考えられない 理由2.日教組、自治労が支援している政党にはいけない
しかし、自由党の中でも「師」と仰いだ、田村秀昭参議院議員(元航空自衛隊幹部学校長)、西村真悟衆議院議員(元防衛政務次官)も、民主に合流した。
さらに、追い討ちをかけるように、小沢一郎氏の代表就任。これで、少なくとも、理由のひとつは、消滅した。小沢一郎総理大臣は、今でも、熱望している。
さてさて、どうしたもんか‥
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