いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2002年08月01日(木) おやじの35回目の命日

 今日は、父、犬伏康秀の命日だ。昨年の5月から、ひょんなきっかけから、毎月月命日に墓参りをしているので、年中行事になってしまったが、普段は一人で行くところを、今日は、息子と娘を連れて墓参りに出かけた。
私は、3歳のときに、両親が離婚し、父と暮らし、10歳の8月にその父が病死。叔父の家から、産みの母の嫁ぎ先へ、と少年時代は転々としていた。世間一般でいう、片親→非行少年の、”エリートコース”を歩んでもおかしくない境遇を与えられていた。ところが、父は、片親である淋しさなど、まったく感じさせないすばらしい親だった。もちろん、出張、残業などで、一人の夜もあったが、二人でいるときの、愛情の深さが、その淋しさを超越していた。そして、怒られたことが、ほとんどなかったのも、よかったのかもしれない。”いい子だ、すばらしい”そんな、誉め言葉のオンパレードであったような思い出しかない。反面、13年ぶりに暮らし始めた実の母は、中学校教員、そのうえ、生活指導主任。家でも学校でも、怒ることしかしない。中学2年、3年の2年間だけ共に暮らしたが、腹が立って、中学卒業と同時に、航空自衛隊生徒に入学して、縁を切ってしまった。もっと早い段階で、この母と暮らしていたら、今ごろ、ヤクザになっていたかもしれない。
先日、久しぶりにこの母を訪ねたら、相変わらず”いかに、秀一(私)は、悪い子供だったか”を延々と話はじめ、最後は、亡き父の悪口まではじめた。父は、存命中、絶対に私の前で、別れた母の悪口を言ったことはなかった。いや、逆に、誉めていたと思う.
 ひたすら誉めつづけて逝った父、ひたすら怒りつづけて孫(私の子供達)の顔すら知らない母。どちらも、私の”生”の恩人だ。
しかし、親のあり方として、また、人のあり方として、父のような人間になりたい、と墓前で思った.

犬伏康秀 あなたの息子であることを、誇りに思います 合掌


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