パラダイムチェンジ

2006年12月29日(金) 75点主義と、べき乗

ほぼ日刊イトイ新聞で連載されていた、つんくと糸井重里の対談
面白い。
元々は、ゲームボーイアドバンスのソフトの「リズム天国」を元にした
対談なんだけど、その中で語られる、「人は誰でも75点までは取れる」
というくだりが面白いのだ。

これについては、日経ビジネスオンラインに掲載されている、糸井重里
のインタビュー
がまとまっているので、そこから引用させて頂くと、


糸井 「モー娘。」のメンバーって、一言でいえば、やる気のある素人さんですよ。その素人の子たちを芸能界の水準まで鍛え上げて、デビューさせるのがつんくです。彼は芸能界の水準を「75点」という言い方をするんですよ。「芸能界は75点みたいなものだから」と。もちろん、芸能界には75点水準よりも上の人たちがいるんですけど、「75点はちゃんとしてやらなきゃならない」と訓練している。それで、それまで大半の芸能界の人ができなかったリズムで、あの子たちは唄って踊っているんですね。

NBO レベルを引き上げる腕が凄い?

糸井 そう。ただね・・・、つんくの面白さって、別にあることが分かったんです。

 「モー娘。」の女の子たちが踊りながら歌を唄ってます。その姿を見た小学生たちはたぶん真似をします。そうしているとね、これまでの日本人ができなかった不連続リズムの踊りを小学生以下の日本人はできるようになっているんです。それで、日本人のリズム感覚は確実に変わっているの。実は「つんく」はそこまで考えていたんですよ。これは「知性の伝達」です。

NBO  なるほど。

糸井 リズム感って、これまで共有できなかったものでした。言葉で、こうすればいい、と教えられなかったんです。それを「受け渡し可能なもの」に作り替えたのがつんくであり「モー娘。」。彼女たちのおかげで、世のお父さんが子供たちに新しいリズムを教えられるようになったし、一緒に、新しいリズムにのって歌を唄えるようになったんです。

僕はいろいろできることが良いこととは思っていないんです。だけど、もし、ある人が音楽にのせて自分を表現する時、それ以前よりは「表現できる自分」になるわけですから、それはそれで「生まれてよかった成分」は増えますね。(略)

糸井 彼は大阪出身ですよね。彼を含めて関西の人たちって、なぜか京都大学のことをあんまり尊敬していない気がするんです。京大ぐらいならちょっとコツさえあれば入れると思っている。「俺の知っている山田が何かコツを覚えて京大に入ったんだけど、まぁ俺でもできるんだけどね」みたいにね。関西の人の凄みって、よく分からないんだけど、コツという概念がある。
「ちょっとしたコツやね」「コツを教えてくれ」とよく言います。つんくの発想の中にもコツ論があるんですよ。



つまり、最近も何やら新メンバーが決まったらしいけど、アイドル
グループ「モーニング娘。」が芸能人として成立する背景には、
プロデューサーとしてのつんくが、彼女たちを75点まで引き上げる
ノウハウがあるばかりではなく、その事が、モー娘。に憧れた少女
たちの踊りのセンスをも引き上げている、という話で。

そのノウハウを基にしてゲームボーイソフトの「リズム天国」はできて
いるらしいのだ。


で、その「コツさえつかめば、誰でも75点までは行くことが出来る」って
いうのは、結構何にでも応用がききそうな気がするのである。

最近の私は、習い事マニアという訳ではないけれど、様々な事に手を
染めている。
例えば英会話に始まり、今年始めたもので言えば他にピアノ(これは
レッスンを受けてないので余興みたいなものだけど)、社交ダンス、
などなど。
他にも仕事に直接関係する身体論の講習会なんていうのにも出かける
ようにしていて。

で、実際自分が様々なことを習っていても、それを完璧にしようとは
あまり思ってないんだよね。
すなわち、どんなに英会話を勉強したって、外国人と全く同じ様な
完璧な英語は話せないと思っているし、またピアノやダンスにしたって
プロと同じようになるとは思っていない。

でも、完璧に出来ないから意味がないとは思わないのだ。

逆にいえば、何かを継続してやっていくことで、自分自身が変わって
いく、という事が重要なんだと思うし、もう一つは、糸井重里が分析
したように、そこに至るまでに、「コツをつかむ感覚」を養うことの方が
重要なんじゃないかな、と思うし。

自分が変わっていけば、同じような毎日でも段々と見る景色は変わって
くるし、また、もしもそこで「コツ」をつかんでしまえば、その「コツ」は
結構全く関係ない分野でも、活かされると思うんだよね。

で、そのコツが何かといえば、「変わっていく自分を肯定的に捉えられる
かどうか」の様な気がするのである。
つまり、初心者の段階ではヘタレでも、このまま継続していけば、多分
75点まで行かなくてもいい所までは行く事ができる、と確信することが
できたなら、それはその人にとって、自信につながるんじゃないのかな
と思うし。


同じような事を、ほぼ日の対談での糸井重里は、こう発言している。


才能だとか資質だとかっていうのは
じつはそんなに重要なことではない。
それをまず、みんなに
わからせたいなって思うし、
ぼく自身にもわからせたいと思う。
つまり、自分の中にも、隠れたいいところが
いっぱいあるんだって思いたい。

いい年になって、まだ表に出てないものが
自分の中にくすぶってるんだと思うと、
ある意味愉快ですよね。
ちょっとでもそういう芽が出てきたら、
毎日楽しいだろうなあって思うわけですよ。

おっさんたちが、ある年齢になって、
ゴルフにあんなに夢中になるっていうのも、
同じことなんですよね。
ゴルフっていうスポーツは、
入り口のところで運動量が少なくて済むし、
「学ぶことによって伸びていく自分」
っていうのがわかりやすいんですよ。
ハンデという、わかりやすい尺度もあるし。
年をとってゴルフに夢中になる人っていうのは、
もうひと人生、楽しんでるんだと思うんです。

それと同じようなことが
あっちこちにあるんだと思うんです。
たとえば、英語習う人もそうだろうし。



「いい年になって、まだ表に出てないものが自分の中にくすぶっている」
っていう言葉は、実際にいい年になってみるとよくわかるし、それは
希望につながっているんだよね。

何で最近、自分がいろんなものに手を染めているのか、その理由が
この対談を通してちょっとわかった気がしたのである。


そしてもう一つ、私が習い事を始めたきっかけでもあり、また希望の
一つにしている言葉がある。
それが、やはり糸井重里と、脳科学者、池谷裕二の対談本、
「海馬−脳は疲れない」からの引用。


糸井 ここではわかりやすいように、仮に、単なる暗記(意味記憶)を   「暗記メモリー」と呼んで、自分で試してはじめてわかることで
   生まれたノウハウのような記憶(方法記憶)を「経験メモリー」
   と呼んでいいですか?

池谷 いいですよ。そのふたつで言うと、ぼくは「暗記メモリー」より
   も「経験メモリー」の方を重視しています。三十代から頭のはた
   らきがよくなるとぼくが言っているのも、「脳が経験メモリー
   同士の似た点を探すと、『つながりの発見』が起こって、急に
   爆発的に頭のはたらきがよくなっていく」ということだと捉えて
   いるからなのです。

糸井 その経験メモリーの蓄積が三〇歳を超えると爆発的になるという
   のは、数字で言うとどのくらいですか?

池谷 最初のチカラを一としますと、べき乗(たとえば二の何乗)で
   成長していきます。つまり、Aを憶えたあとにBを憶える時には、
   Aを憶えたことを思い出してやるので、まず方法を記憶しやすく
   なるんです。

   そのうえにAとBふたつを知るだけでなく、Aから見たB、Bから見た
   Aというように、脳の中で自然と四つの関係が理解できるんです。
   つまり、二の二乗ですね。
    
   一の次は二。二の次は四。四の次は八。八の次は十六…。
    
   十六のチカラの時には、1000なんて絶対に到達できない
   ように見える。しかし、そこから六回くりかえせばできてしまう
   んです。二の十乗は、1024ですから。

糸井 すごい差だね。四回目で十六なのに、10回目で1024。

池谷 そのままあきらめずにくりかえしていると、二の二〇乗まで行っ
   たとしますよね。

   10回目で1024だったチカラは、二〇回目には、いくつに
   なっていると思いますか?

   …1048576。100万を超えています。

糸井 うわぁ!

池谷 凡人と天才の差よりも、天才どうしの差のほうがずっと大きいと
   いうのは、こうやって方法を学んでいく学び方の進行が
   「べき乗」で起こり、やればやるほど飛躍的に経験メモリーの
   つながり方が緊密になっていくからなのですよ。

糸井 いやぁ、それはかっこいい。

   十六の人は1024の人を天才だと思うだろうけど、1024の
   人が10回やっているところをもう10回増やしている人は
   100万かぁ。

池谷 脳で起こる反応は、直線グラフでは表されないのです。

糸井 「ひとつのことを毎日、10年くらいくりかえしさえすれば、
   才能があろうがなかろうがモノになる」という言葉があるけど、
   やっぱりそれは正しい。

池谷 脳の組み合わせ能力の発展のすごさを考えると、10年やり続け
   れば、経験メモリーどうしの組み合わせは能力を飛躍的に増すで
   しょう。

糸井 目指す位置が遠く見えても「ほんとは遠くはないんだ」と思って
   いたほうがいいくらいですね。



このくだりは以前にも紹介したことがあるんだけど、でも自分自身で
実践してみても、そうだよな、と実感できるのである。

今、私が毎日やっている事って、ラジオ英会話の録音を聞くことと、
初心者用のピアノの教則本を毎朝弾くことである。
このどちらも、時間にしてみれば10分少々でしかない。

どんなに仕事が忙しくても、これくらいの時間だったら、見つける事って
何とかなるんじゃないかな、と思う。
でね、たった10数分でも、チリも積もれば…ではないけれど、毎日やって
いると、やっぱりそこそこ、自分の能力レベルが上がっている気がするん
だよね。

英語のほうは、実際久しぶりに会った外国人にも、レベルが上がった、と
言われているし。
ピアノの方も、最近は、何とか簡単な曲だったら、左手で和音のコードが
押えられるようになってきたし。

で、これは何も毎日にこだわらなくてもいいと思うんだよね。
たとえ2、3日と言わず、結構なブランクが空いてしまったとしても、
以前やって身体に身についている感覚って、やってれば結構思い出してくる
と思うのである。
それがたとえ、三日坊主で終わったものでも、以前三日坊主なりに、覚えた
事って、やり直してみるとその記憶が役に立ったりするのだ。

自分の場合(昔の癖を思い出すという弊害もあったけど)、社交ダンスは、
昔やってた事が、今習っている時に全くの初心者ではないので、役に立って
いると思うし、英語にしても、やっていると昔この単語覚えるのに苦労した
なんて事を思い出したりして。

だから、何でもいいから、何かを断続的でもいいから続けてみればいいん
じゃないかな、と思うのである。
やればやったなりに、多分コツがつかめれば、75点位になると思えば、
その一見険しく見える道のりも、経過が楽しくなるんじゃないのかな、
と思うし。


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