パラダイムチェンジ

2006年08月25日(金) 小泉首相の強さの秘密

先週の8月15日に、小泉首相が靖国神社を参拝して、その後会見を
した後で、彼の支持率が51%に上昇したらしい。
私自身は、それを嘆くとか、そういう気持ちよりも、ふーん、そうな
んだ、という気持ちが強い。

もうすぐ任期の終わる、小泉首相の、何が一番強みだったのか、と
言うことが、今回の事でも浮き彫りになったんじゃないのかな、と
思ったのである。

小泉首相の強さの秘密って、言葉の強みなんだろうな、と思うのだ。

すなわち、彼が靖国神社に対する発言でも、または昨年の郵政絡みの
衆議院選挙でも、彼が発言をした後で、彼の支持率がグーンと上昇
した理由は、彼がその発言を、自分の言葉で、本音で語っているから
なんだろうな、と思うのである。

その言葉の本当らしさ、嘘のなさ、いさぎよさに私たち日本人って、
反応する気がするんだよね。

それは逆に言えば、あの亀田興毅の世界タイトル戦に対して、あれだ
けの非難が集中したのは、あの一連の流れの中に、嘘や、恣意的な
演出があるように感じてしまったからなんだと思うのだ。

すなわち私たちは、TV画面を通じて、その言葉が本音なのか、嘘なの
か、いさぎよいのかいさぎよくないのか、という事を判断しているん
じゃないのかな。

その意味で言うならば、一度いさぎよくないという烙印を押されて
しまった加藤鉱一議員の場合には、いかに靖国や外交問題で真っ当な
事を言っていたとしても、一度ついてしまった烙印を取るほどまでに
は、世間一般からは、支持されることはないのかもしれない。


そしてもう一つ、小泉首相の強みがあるとするならば、それは彼の
皮膚感覚と、世間の声とのシンクロ率が高いということなんじゃない
のかな、と思うのである。

すなわちこれまでの5年間を振り返ってみても、多分彼の行動が、
世間の期待を大幅に裏切った事ってなかったと思うのだ。

逆にいえば、小泉首相のやってきた行動を見ると、我々日本人の
最大公約数の本音がどこにあるのかがわかるのかもしれない。

例えばね、外交問題に関しても、小泉首相は対米重視、追随型で、
ここまで米国に対して尻尾を振った宰相もいないんじゃないかな、
とは思うけど、でも世間的にも多分、世界で一番頼りになるのは、
米国だ、という意見が強いと思うし、彼くらいにアメリカ文化が
好きな日本人はザラにいると思う。

その一方で、対中国、韓国に対しては、両国の平和と協調を図りたい
とは言うし、そう思うけどその一方で言うならば、どこかまだ軽視
したいと思っているし、また60年前の事について、いつまで私たちが
謝らなきゃいけないんだ、勘弁してくれ、と(世間の声も)思っている
のかもしれない。

小泉政権が成立したとき、日本は失われた10年の真っ只中で、銀行の
不良債権問題が何年も長引き、景気回復の兆しさえ見えなかった時
だから、小泉首相の言うように、郵政事業を民営化しさえすれば、
全ての問題が解決する、という処方箋というか正解を提示されれば、
そうかも、と思う。

痛みなくして成長なし、と言われれば、そうかも、と思い、多少の
格差が知らないままに広がっていくこともやむなし、と思う。

でもその一方で消費税を上げられるのは、勘弁だと思うので、小泉
首相もそこには手をつけない。

また例えば、皇室の後継者問題に関しても、色々と意見が出てきて、
世間の声も一つにまとまらないな、と思った場合にはいさぎよく手を
引いて、次の政権に先送りをする。

と言う風に、小泉首相と、いわゆる世間一般の声との一致率って、
歴代政権の中でも一番だったんじゃないのかな。
いわば、小泉首相と世間(国民の声の最大公約数)の蜜月期間が、この
5年間だったような気がするのだ。

それを裏付けるという訳ではないけれど、ちょっと前の東京新聞の
放送欄(7/14付)に、ニュースキャスター筑紫哲也が小泉劇場を
評してこう言っていた。

以下、引用すると、


 ――首相はテレビを活用したと感じるか。

 それは見事にそうだ。小泉劇場と呼ばれたが、劇場の舞台を用意したのは明らかにテレビ。振り返ると、青島幸男さんや田英夫さんらテレビで親しまれた人が政治家になるパターンが繰り返されてきた。だが逆に政治家、中でも指導者が、デーリーのテレビ番組を持ったらどうなるか。それをやったのが小泉さんだ。

 彼のように毎日、テレビの前に出てくる指導者は世界の中で、あるいは歴代首相の中で一人もいない。首相がレギュラー番組を持ったようなものだ。テレビが小泉さんのお先棒を担いだなどといわれるとき、現場にいる当事者は違和感を覚えるが、結果として小泉さんはテレビをうまく使った。

 ――具体的には、どのように使ったのか。

 テレビは小泉さんに加担したとか、小泉ブームをあおったとかいわれるが、小泉さんを支える中心になったのは、キーワードで言うと日常性と非政治性だ。

 まず日常性だが、小泉さんは毎日、自分からテレビの前に出てきてしゃべる。これが果たしている効果は絶大だ。つまりテレビを見ている人が小泉さんの考え方にすべて賛成というわけではなくても、毎日出てくるため親しみを覚え、ほかの政治家に比べて自分の日常に近い存在になる。

 もう一つが非政治性。例えば記者が小泉さんに「王監督が入院します。どう思いますか」と聞く。「大事に至らなければいいですね」とか平凡な答えが返ってくる。そうした政治とは関係ない非政治的なことが、政治的効果を持ってくる。

 ――そのようにして存在感を増している。

 最新の例が、アメリカ版小泉劇場だ。私もワシントン特派員を務めたが、日米首脳会談が米国のメディアで大きく報じられることはまずない。

 しかし小泉さんの今回の訪米は破格の扱い。特に、故エルビス・プレスリーの邸宅訪問はニューヨーク・タイムズが一面、ワシントン・ポストも一面トップ扱いだ。エルビス邸訪問は、政治と関係ないが、そうした非政治的な出来事が新聞のトップ記事になる。

 みんな小泉さんについて何を覚えているだろうか。貴乃花の優勝に「感動した!」と叫んだり、ああいうイメージが強いと思う。あれも政治ではない。つまり非政治的なものを最もうまく政治的に使った首相が、小泉さんだ。



と言う風に、小泉首相が例えば王監督の入院に対して発言した内容は
おそらくは世間一般の声との乖離はほとんどなかったと思うのだ。
そしてそういう発言を聞くたびに、私たちは彼の発言が私たちとズレ
がないことを再確認して、ホッとしている様な気がするというか。

それは例えば、前首相の森喜郎と比べるとはっきりすると思う。
森前首相の人気がなかったのは、彼がマイクの前で話した内容が、
世間一般の感情とはちょっとずれていたり、もしくはその言葉の中に
嘘とは言わないまでも、不誠実さを(無意識の内に)感じ取っていた
からなんじゃないのかな。

それに対して小泉首相の場合には、多分彼の発言って、計算して
世間一般の声に合わせているというよりは、彼の皮膚感覚で発言して
いるように感じられるのだと思うのだ。
だからいわば、世間一般の声の巫女的な存在と言うか、具現してきた
(+そこに自分の主義主張を織り交ぜてきた)のが、小泉首相の強さの
秘訣なんじゃないのかな、と思うのである。

でもね、その一方で言うならば、例えば消費税を上げない代わりに、
彼が行なってきたのは、例えばサラリーマン家庭の扶養家族手当ての
削減だったり、また福祉、介護予算の縮小だったりという形で、
弱者的な立場の人たちに対する政策は厳しさを増していると思う。

個人的には、それだったら(生活必需品の消費税は余り上げないとい
う前提で)全国一律、平均的に税が取れる消費税率を上げたほうが、
税の公平性という事では正しいと思うのだが。

と言う風に、彼の政策は、世間一般から零れ落ちそうな箇所に対して
は、目が行き届いているとは言い難いと思うのだ。
それは例えば、難民問題などでもそうで。世間一般から外れる、
世間の関心のあまりない部分に関しては、冷淡にも思えるのである。


で、話題は、ポスト小泉に移る。
果たして、ポスト小泉と目されている候補者たちは、小泉首相ほどに
も、自分の嘘偽りない本音が、世間の声とシンクロすることができる
のかどうかが、彼らの政権の寿命を決めるのかもしれない。

おそらくは、安倍晋三官房長官が、次期首相になるんだと思うんだけ
ど、彼の発言を聞いていると、ちょっとだけ計算している感じがする
のは、私の思い過ごしなのかもしれないけれど。


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