パラダイムチェンジ

2006年08月24日(木) ゲド戦記

今回は映画ネタ。見てきたのは「ゲド戦記」
この映画の感想を一言でいうならば、「正直、この作品の評価がこん
なに低いのかがわからない」である。
作品自体は、正統派?ジブリアニメに仕上がっていると思うのだ。

この映画に関して、原作者のアーシュラ・K・ルグインが原作とは
違う別作品だと自身のWebサイトで書いているらしい。
でもそうだろうな、と思う。

この映画の監督、宮崎吾郎が書きたかったテーマって、親殺し、
子殺しが頻繁に起こっている印象のある、現代日本の心の闇、病巣を
描きたかったんだろうな、と思うからである。

主人公、アレンは映画の冒頭で自分の親を刺し殺し、剣を奪って
逃げる。
彼が逃げ続けているのは、自分の心の中の闇とも言うべき、自分の
影である。
そして彼自身は、心の奥底で、自分に生きる価値はないのだ、と
思っているようである。

そしてそれは、おそらくは監督宮崎吾郎が考えた現代を生きる若者、
生きる目標を失ってしまったかのように見えるとも重なっているのだ
と思う。
だからこの映画のテーマは、オタクの人にとっては、面白くはない
かもしれないなあ、と思うのだ。

ただ、個人的にこの宮崎吾郎監督の考え方に、賛同する部分があるの
は、自分自身が宮崎吾郎監督と年齢が近いせいかもしれない。
すなわち、この映画を見ている私にとっては、アレンの立場も、そし
て彼を取りまくゲドたちの考えることもわかる気がするからである。

解剖学者の養老孟司が、この映画を見てなんと言ったのかは知らない
けれど、おそらくは我が意を得たり、と思ったんじゃないのかな。
「日本人は生きていない」「自分の生き方がわからないなんて言って
る奴は身体を動かせ、自然の中で畑を耕せ」というのは、養老孟司の
主張そのものだと思うし。
でも、実際そんな風に自分の身体を使う生き方をしていると、私も
そう思うんだよね。

この映画の中でヒロイン、テルーは「生きてない」アレンに対してこう
言う。

「人はいつか死ぬ。だけどすぐに死にたいっていうのも、死にたくな
いって言うのも一緒で、それは生きてないんだ。アレンが怖いと思っ
ているのは死ぬことじゃない、生きることを怖がっているんだ」
と。

で、個人的にはこの言葉がスッと自分の心の中に入ってきただけで、
この映画を見てよかったな、と思ったのである。

私は心の闇は、誰の心の中にもあるのかもしれない。
そしてそれはこの映画で描かれたように、自分にとっての影みたいな
もので、だけどそれも自分の中の一部分なんだ、ということだと思う
のだ。

そして、私たちは一人で生きているわけではない。必ず誰かしらの
目に見えない、普段はあまり意識はしない助けがあるからこそ、生き
られるんだ、と思うのである。

ただし、私はまだ原作を読んでないので何とも言えないのだが、おそ
らくは原作の持つ魅力は、このテーマだけに絞り込まれたものでは
ないんだろうな、と思う。

もっと複雑な魅力が原作にはあるんだろうし、その意味でこの映画が
原作の持つ魅力を全て引き出したとは思ってないし、別物なんだろう
な、と思うのだ。

また、ここに描かれた世界が、果たして原作者の思い描いた世界なの
かどうかも私にはわからない。
この映画で描かれている世界は、今までのジブリ作品の世界そのもの
の様に思えるからである。


この映画を見ていて、個人的に懐かしいなあ、という感覚になった。
それはおそらくは、宮崎吾郎監督の父、宮崎駿監督の作品を彷彿と
させるキャラクターが出てきたり、街の雰囲気も以前の宮崎アニメの
舞台になってもおかしくはないレイアウトになっていたからだろう、
と思うのだ。

すなわち、魔女クモーの手下、ウサギは、風の谷のナウシカのクロト
ワっぽいし、テナーは、魔女の宅急便のオソノさんを彷彿とさせる。
それは、個人的にはジブリのキャラクターが、他の役を演じている
感じに見えて、そんなに抵抗はなかった。

また、この映画を見ていて、もっともジブリっぽいな、と思ったのは
牛や馬などの動物の描写の仕方だった。
こういう所のリアルさや、農作業の描写の確からしさの様な物が
ちゃんと描かれている事に、見ていて一番ホッとしたのである。

逆にいえばそれは長年宮崎駿監督の下で技術を磨いてきたスタジオ
ジブリの底力といえるのかもしれない。
それは今までどこかで見てきた風景ではあるんだけど、日本沈没の
時とは違って、今まで見てきた風景だからこそ、少なくとも監督の
伝えたかったメッセージは際立って伝わってくると思う。

ジブリのアニメは、それでなくても説教臭い、と思っている人に
とっては、それは単なる親父の繰り言に聞こえるのかもしれないけれ
ど、でも多分そう思った人も、自分が子供を持つ位にこの映画を
見直した時には、その評価も変わってくるんじゃないのかな、と
思うのである。

だから個人的にこの映画を一番見て欲しい、と思う層は、今気難しい
年頃の子供を持って、どう接していいかわからない、と思っている
(特に男)親の人である。

多分ね、私はまだそういう立場ではないけれど、私自身は今回のゲド
のように、自分の生きる姿を見せるしかないだろうな、と思うのだ。

人に生きているとはどういう事かを見せるためには、自分自身が
「生きて」いる姿を見せる事が一番大切な事のような気がするので
ある。

そしてできれば、私もそんな師匠に出会いたいな、と思うし、自分が
そんな人になれたらいいな、とも思うのである。


ただ、今回の作品の作画で、一番違和感があったのは、主人公が
狂気に駆られ、キレる場面での表情だった。
それが練れてない、というか、作画のレベルからいっても、ちょっと
落ちるというか。

多分ね、この辺宮崎駿だったら、もっと顔の表情の演技に頼るのでは
なくて、全身の動きで表現したんじゃないのかな、と思うのである。
あと、おそらくラストシーンあたりは作画の時間が足りなかったんだ
ろうなあ、と思ってみたり。


今回の映画、ゲド戦記は、そんな風にこれが初監督作品になる、
宮崎吾郎監督にとっては、原作の持つ魅力と、父が培ってきた資産に
よって、相当助けられている部分があると思う。

でも、これ以上にひどい内容のアニメ作品なんて、今まで見てきた
中にも沢山あったと思うし、初監督作品としては、むしろ無難に
こなしたんじゃないのかな。

もしも次回作があったとして、その時、優れた原作や父の資産だけに
頼ることなく、自分自身の世界といった物が生まれるのなら、彼の
評価もまた変わるのかもしれない。

個人的には今回の映画は、父、宮崎駿のやる気に火をつけたんじゃ
ないかな、と思うので、父の次回作に期待、という事で。

あ、あとこれを機に原作を読んでみようと思います。



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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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