パラダイムチェンジ

2006年07月24日(月) 靖国問題

昭和天皇が、靖国神社でのA級戦犯合祀に不快感を示していたと
される、元宮内庁長官の富田メモが発表されたことが現在波紋を
広げている。

この富田メモの背景については、東京新聞7月21日の核心欄と、
翌日22日の特報欄が詳しく、またわかりやすかった。
この報道が、小泉首相、石原都知事など、靖国神社参拝派?の人たち
の行動を変えることはどうやら無いようである。

今回のメモ後の彼らの行動を見ていると、2004年の園遊会で、当時?
東京都教育委員の米長邦雄が、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を
斉唱させることが私の仕事でございます」と発言したのに対し、
今上天皇陛下が、「やはり、強制になるということではないことが
望ましい」とご発言なさった後、その発言を「無かったこと」に
しようとしたリアクションを思い出す。

ここまで来ると、これは彼らの信仰の問題であるといえるのかも
しれないし、彼らが靖国神社に参拝するのは、確信犯であるといえる
のかもしれない。

彼らにとって、信仰の対象になるのは、天皇陛下個人ではなく、
2600年続いてきた(と彼らの信じる)天皇制と(もしかしたらありし日
の)日本なのだろう。
そしてそれこそが、戦前も含めて、日本が天皇機関説で動かされて
きたということの証明であるような気がする。
彼らにとっては、天皇陛下は「声も聞けず姿も見えず」位の方が、
勝手に共同幻想をふくらませる事ができて好都合なのかもしれない。

この靖国神社参拝問題、話がややこしいのは、この個人の信仰心の
問題が、政治問題、外交問題になっていることなのだろう。
そこには、個人の信仰心の問題と、国の外交方針の問題がねじれ現象
を起こしているからであって、一筋縄で解決は出来そうもない。

個人的に、この問題でどこか違和感を感じるのは、彼ら確信犯の人
たちが、自分の信仰心に基づいて、靖国神社を参拝することには、
異論を唱えるつもりはないけれど、たとえば彼らの思想や行動が、
日本の代表としてとらえられかねない雰囲気が、国の内外にあるから
である。
少なくとも私は、彼らと同じ思想ではないと思うし。

(と、いう発言が出来るのも、今が平和だからなんだけど。これが
戦前のある時期だったら、こんな事をチラシの裏に書いただけでも
非国民扱いされるのかもしれない。そして私はそんな風潮になる事が
一番嫌いである)

だから一番の問題は、この靖国神社参拝の問題を、政治問題化した
のは、一体誰なのか、という事だと思うのだ。

普通に考えるのはそれは韓国や中国が、騒ぎ立てるからだ、と思うの
かもしれない。だけど、そもそも、TVメディアが8月15日に靖国神社
の前で待ちかまえていなければ、その個人の行動がおおっぴらに報道
されることも無いわけだし。

ついでに言えば、そもそも小泉首相の靖国神社参拝問題を、政治問題
にしたのは、小泉首相本人だと思うのだ。
もしも彼が総裁選で靖国神社公式参拝を公約にしなければ、この問題
がこれほど大きく報じられることもなかったと思うし。
それを騒ぎが大きくなってから、「個人の信教の自由です」と彼が
開き直るのも、場当たり的というか、どうなのかと思うのだが。

ついでにいうと、中国、韓国がこの問題について、これほどヒステリ
ックとも思えるほどに騒ぎ立てるのって、主に確信犯の方たちが、
靖国神社で英霊たちに語りかけるほどにも、現実の中国、韓国政府と
話し合おうとしていないというか、重要視していないように見える
からだろう。

もしも彼らがもっと韓国、中国と対話を行っていたならば、この問題
がこれほど深刻にはなっていないと思うのだ。
逆にいえば、彼ら側から見れば、自分たちを軽視している人たちが
靖国神社という、彼らにとっては侵略の象徴と見なしている所に
参拝しているのを見れば、面白くは思わないだろうし、それを政治的
に利用させる隙をこっちが作っているとも言えるわけで。
その隙につけ込んでくるとはひどい、なんていうのは、ちょっと
ナイーブすぎる気もするのである。


最後に、私個人の靖国神社と、A級戦犯合祀についての雑感を述べて
みる。
今回の騒動でも、そもそも戦犯とは、戦勝国が勝手に開いた軍事法廷
で、勝手に断罪された被害者たちである、という意見がちらほら聞か
れる。

ならばと思う。
そう本気で主張する人たちは、その戦争で、何百万人もの人たちを
死地に追いやった責任は一体誰にあると思っているのだろう。
もちろん、その責任の一端は、昭和天皇にあると思う。
であるが、昭和天皇が、すべての軍事作戦と、外交問題を戦前統括
していた訳では無いことは、当時の資料を見てもわかると思う。

すべての戦犯となって処刑されてしまった人たちに、その責任がある
とも私は思っていないが、少なくとも国を実際に動かしていた人たち
に、その責任が全く無いとは私にはどうしても思えない。

そして一番の問題は、国体の護持(天皇制の存続)の問題と相まって、
その当時から現在に至るまで、その総括と反省が日本国内でなされて
いない事だと思うのである。

ただし、それは責任の所在を明らかにし、断罪を加えれば物事が一気に解決するとも私は思っていない。

彼ら戦犯の方たちは、罪人の汚名を背負って、非業の死を遂げた訳
だけど、でも逆に彼らに罪をかぶせることによって、少なくとも
60年前の日本は上手く再出発することができたと思うのである。
そして一方的に罪人の汚名をかぶって非業の死を遂げたのは、日本史
上、彼らだけでもないだろう。
たとえば新撰組の近藤勇だって、無念だったといえるのではあるまい
か。

日本の場合、そういう無念の死を遂げた人たちの霊魂を、荒魂として
神社にお祀りして、安置するという伝統が昔からあった。
ただしその場所として、少なくともA級戦犯の人たちを安置する場所
として、靖国神社が適当であるとは私には思えない。

それでは彼らの魂が安らかにはならないというのは、今現在の騒動を
見てもわかるのではないか。

たとえば遺族会の人たちや、戦犯の遺族だった人たちが私的に彼らの
魂を祀る神社を造ったって誰も文句は言わないだろうと思う。
今の議論のように、彼らを靖国神社から「除け者」にするのではなく
彼らが安らかに眠れる為の彼らの為の特別な社を靖国神社とは別の
場所につくればいいんじゃないのかな、と思うのだ。

そうすれば確信犯の方たちも、自分が戦場で最期を遂げた英霊たち
にお参りするのか、それともそうでないのか、自分たちの旗色がはっ
きりして、すっきりすると思うんだけど。

でも本当に一番安らかに眠らせてくれ、寝た子を起こすな、と思って
いるのは、彼らA級戦犯や、英霊の人たちなんじゃないのかな。


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