2005年03月06日(日) |
ほりえもんはなぜ大人に見えないのか |
相変わらず、ニッポン放送株式をめぐるフジテレビとライブドアの 攻防戦が連日報道をにぎわせている。 そして相変わらず私はといえば、どっちが勝つかなんてことには あまり興味がない。 そんなものは時期が来ればおのずとわかることなんだろうし、余計な ことを考えたってしょうがない。 私が興味を持つのは、ただひとり、ほりえもんについてである。
先日、友達とほりえもんの話になった時、自分自身があまりほりえもん をこころよくは思っていないことに気がついた。 もちろんそこには、ほぼ同世代に対しての嫉妬、ジェラシーもあるの かもしれない。
でも、どこがそんなに好きじゃないんだろう、と考えたとき、「考えの 底が浅そうに見える」からな気がしたのである。 そしてそれをもう少し突っ込んで考えてみると、彼がちっとも大人に 見えないことが原因のような気がするのである。
で、じゃあここでふと考えてみる。 じゃ、大人に見えるか見えないかの基準って一体どこにあるんだろう?
それは例えば彼の服装がカジュアルだから、という訳でもないだろう。 普段からカジュアルな格好をしていても、中味は十分大人な職人さん なんてのは世の中に沢山いると思うし。 多分それは、彼の立ち居ふるまいや言動から感じるんだろうと思うの だが、なんとなく「ガキが大金持っている」ような印象がついてまわ るのである。 もちろん、それはメディアが植え付けたイメージなのかもしれないが。
でも今回のニッポン放送を口説き落とす文句にしたって、10代で彼女を 妊娠させてしまった彼氏が、彼女の両親の前で一生懸命いきがっている 構図にどうしても見えてしまうのだ。
田口ランディは ブログの中で、ほりえもんはコミュニケーション能力が 低いのでは、と書いていたが、もちろん彼も会社をしょって立っている 実業家である。おそらくビジネス的なコミュニケーション能力は、人一 倍持っているんだろうと思う。 事実、彼がビジネスについて語る口調は論理的で、(少々冷たく感じる が)わかりやすく聞こえる。 でもなぜか、彼に大人の雰囲気はあまり感じないのである。
それは「反戦略的ビジネスのすすめ」を書いた平川克美が「最近のベン チャー企業家たちの言葉遣いがなってない」と書いていたことに私が 影響を受けているのかもしれないんだけど。
でも、じゃあビジネスの世界に限らず、大人ってどういうのだろう? と考えたとき、今回のライブドアに対してバッシングを繰り広げている いわゆる守旧派とよばれている人たちが大人なのか?といわれると、 なんか違う気もする。
森喜朗なんてほりえもん以上に子供でしかもバカに見えるし、フジテレ ビの日枝会長にしても、対応は十分大人だと思うのだが、かといって 個人的にはああいう大人に憧れてなりたいともあまり思わない。 ま、その辺がこの問題に関してあまり興味がわかないのかもしれない 原因なのかもしれないけれど。
でもたとえば、日産のCEOのカルロスゴーンは魅力的な大人に見えるし、 たとえば年下でも中田英寿や、そして女子プロゴルファーの宮里藍 だって十分魅力的な大人に見える。
この前見た映画「ネバーランド」の中の1シーンで、ジョニーデップ 演じる主人公、ジェームスバリが親しくしてピーターパンを生む結果 になった家族との交流の中で、その中の長男が子供から大人へと変わる シーンがある。
といっても外見が変わったわけではない。でも確実にその瞬間少年は 大人になり、そしてジョニーデップが「君は大人になったんだ」と目を 細めて喜ぶシーンがある。
ではその瞬間、何が変わったのか、と言われても言葉にすることは できないのだが、確実にその瞬間に少年は大人になり、そして信用に 足る人間になったように見えたのだ。 そしてなぜだかわからないが、ほりえもんには同様の大人らしさという ものをあまり感じないのである。 彼だって十分覚悟を決めて、肚も座っていると思うのに。
でも、日本って本当に若者が憧れる魅力的な大人というロールモデルが 少なすぎるんだろうと思うのだ。 だって、政治家にしても有名人、セレブにしても、あ、この人は大人だ な、って思える日本人って少ないような気がする。
というよりは、それをTV画面やメディアを通して求めようと思う限り、 難しいのかもしれない。 だから同様の理由で、中村勘九郎が勘三郎になったことに関しては 賞賛を送りたいが、林家こぶ平が正蔵になることに関しては、ふーん、 そう、それで?って気になるのである。 それもなぜだかは、よくわからないのだが。
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