ちょっと前、元週刊アスキー編集長F岡さんのブログにこういうエン トリーがあった。 話のメインは、今現在、雑誌が売れない現状について、ネット環境の 発達と絡めて、読者の志向が読むというreadから、ながめるという ブラウズに変化しているんじゃないのか、という事である。
そして週刊アスキーが堅調なのは、他の雑誌に比べると、よりreadより ブラウズ傾向にあるからなんじゃないのか、という分析だった。
この話を読んで私は、別の面でそうかー、と思ったのである。 それは、ネットの画面を通してブラウズするのと、本として活字を読む のでは、受けとる情報量って違うのかもな、と思ったわけである。
たとえば、 「電車男」は、現在書籍として非常に売れているが、オリジ ナルはネット上でただで読むことができる。 私が「電車男」の事を知ったのは、今年の夏ごろだけど、その時は ネット上のログをきちんと読むというよりは、流れをザーッと読んだ だけだった。 その後本になったものを手にとって立ち読みをしてみて、あ、こんな 面白さがあったんだ、と新たな発見をしたのである。
すなわち、ネット画面上をブラウズすることと、本として読むことでは 脳の活動領域は微妙に違っているんじゃないのかな。 電車男は、本の中でも、その性格上、ブラウズしやすい傾向にあるわけ だけれども。
でも電車男に限らず、ほぼ日刊イトイ新聞からスピンオフした様々な 本、たとえば「新宿2丁目のほがらかな人々」であるとか、または 内田樹の本の内容のほとんどは、彼のサイトのネタと重複しているから ネット上でただで読もうと思えば読めるのである。
であるにも関わらず、少なくとも私にとっては、本という形となった それらの本を読むことで、ネット上では気付かなかった、新たな発見 があったりするのである。
それらは本という形になったことで、より魅力を増したとはいえない だろうか。 すなわち、ブラウズするだけではなく、読む価値がそれらのコンテンツ にはあると思うのである。
冒頭のF岡さんの話に戻れば、この先、活字であっても、売れる本は どんどんreadよりブラウズの傾向になっていくのかもしれない。 (たとえば無料週刊誌のR25なんて、ほとんどブラウザーだし)
でもそれでも、readする価値のあるコンテンツは残ってほしいし、 残っていくんじゃないかなあ、とも思うのである。
|