パラダイムチェンジ

2004年11月30日(火) ハウルの動く城

仕事帰りに、「ハウルの動く城」を見てきた。

この映画、一言でいうなら、「シンプルな力強さにあふれた面白い」
作品だと思う。
実はこの「シンプルな力強さ」という言葉、以前宮崎駿がロッキング
オン編集長の渋谷陽一に対して、新作に触れて3年くらい前に触れた
話なんだけど。

その部分だけ引用すると

僕は人間の持ってる根源的なものをシンプルに強く訴えるっていうのは
非常に意味のあることだと思っていて、僕らが衰弱してるせいで、そこ
までなんかこう突き抜けることができなかっただけなんだと思うんです。
だから、『もののけ姫』っていうのが複雑にならざるを得なかったのは、
やっぱり自分たちがそこまで到達できてなかったってことだと思います。
(略)

「おそらく次は2004年の夏です。たぶん2004年の夏っていうのは、
今の混迷した世の中がもっと混迷してるはずですから、そのときに
『これが私たちの答えです』っていうふうにね、もっとすっきりした
シンプルな形で作品を作ることができるかどうか問われているんだと
思います。」

宮崎駿  『風の帰る場所』

それではこの一見複雑怪奇な話にどこが「シンプルで力強い」と私は
思ったんだろうか。

この映画、今までの宮崎アニメの文法を踏襲しながらも、その上で
宮崎駿自身のメッセージが力強く響いてきているんじゃないのかな、
と思うのである。

以下、ネタバレ風味につき、まだ見ていない人は要注意してもらうと
して。


私が思ったのは、90歳になったソフィーは、宮崎駿自身なんじゃない
のかな、と思ったのである。
もう年をとり、作画をするたびに腱鞘炎と、長年の腰痛に悩まされて
いる宮崎駿と、すっかり腰が曲がり、杖がなければ歩くことのできない
荒地でのソフィーの姿が重なっているような気がするのである。

以前、「紅の豚」のとき、渋谷陽一がインタビューした本「風の帰る場
所」の中で、「この映画のポルコは、宮崎さん自身ですね」と指摘さ
れ、「自分のために映画なんてつくっちゃいけないんです」と語って
いた宮崎駿だったが、あれから10年、「飛べない豚はただの豚だ」と
いきがっていたかつての不良中年から、おそらく今現在は「手は動か
ないし、腰はガタガタだし」とぶつくさと言っている宮崎駿の姿が目に
浮かんでくるのである。

でも、であるからこそ、ハウルの城に入ってからのソフィーのパワフル
さには目を見張る。
「年をとるとずうずうしくなれるもんだね」とうそぶきながらも、曲がっ
ていた腰は伸び、しわだらけだった顔が段々と張りを取り戻していく
様は、そのまんま、開き直って今後老いて益々さかんになっていくの
かもしれない宮崎駿のパワーと重なっていくように見えるのである。


前作、「千と千尋の神隠し」の時、宮崎駿は10歳の女の子のためにつくり
ました、というメッセージを発信していたと思う。
そして今回の「ハウルの動く城」では、自分自身のための映画である一
方で、現代の若者に対するメッセージにもなっていると思うのである。

魔法使いのハウルは、宮崎アニメの登場人物としては珍しく長身の
美形で、すらっと足が長い。
魔法の腕は抜群だけれども、その一方で髪の毛の色が変わったり、
女の子にふられたくらいで途端にひどく落ち込んでしまう。

その沈んでいる姿は、まるで「もうダメぼ」とつぶやいている現代の
若者のようである。
その一方で、現代の若者たちには、ハウルだけでなく、ソフィーやカブ
など、みんなややこしい呪いがかかっていて、それは一筋縄では解けそ
うもない。

ソフィーの場合、荒地の魔女の呪いによって90歳の老婆へと姿を変えら
れてしまった訳であるが、これは精神科医でSF者の風野春樹さんが書い
ていた事
と重なるんだけど、あの呪いは一方では、ソフィー自身がかけ
た呪いだといえるのかもしれない。

ソフィーはハウルについて語るとき、また寝ている時は元の10代の姿に
戻る。
でもたとえばお花畑でハウルと一緒にいるという心弾む瞬間でも、少し
ネガティブな感情、消極的な気持ちになった刹那、90歳のしわだらけの
お婆さんの姿に戻ってしまう。

それは、傷つきやすい(私を含めた)若者たちの姿と重なるのではない
だろうか。

途中、おそらくは夢の中でソフィーはハウルの闇の中の魔物の姿に触れ
る。そこであなたを助けたい、というソフィーに対して、ハウルは
「自分の呪いも解けないお前に俺が助けられるのか?」とうそぶく。

でもソフィーはラスト、銀髪のままだとはいえ、自分で自分の呪いを
解いたようにも見える。そして、自分の呪いを解いたからこそ、ハウル
とカルシファーの悪魔の契約を解くことにも成功したように見える。

それはもののけ姫の時にはシシ神の力を借りなければ(あれも自分の
意思で解いたようにも見えるのだが)自分のタタリを消せなかった、
アシタカに比べても、より力強く私たちの心に響いてくると思うので
ある。

そして「千と千尋」の千尋と同様に、ソフィーは自分にかけられた呪いを
経由することにより、だんだんとまるでナウシカのような、宮崎アニメ
のヒロイン像に近づいていく。
だから変な話、この映画を見ていて、90歳のおばあちゃんの恋愛物語に
はあまり見えない。むしろ外見はどうであれ、大事なのはその人の中身
であり、いくつであれ、若いと思ってればなんでもできるんだ、という
メッセージになっていると思うのである。


また戦争や、サリマン先生など、作品中で説明されていないことは沢山
あるんだけれど、でもそれは割とどうでもいい部類の事なんじゃないの
かな。

戦争の原因が何であるか、というよりはいかにそれが理不尽なもので
あり、自分の住んでいた街、ちょっと前まではとても活気にあふれて
にぎやかだった街が焦土に変わってしまう、という事のむなしさの方
が、そこに住み暮らしている人にとっては重要なことであり。

そしてたぶん、あの荒地から見ている空襲の風景は、幼かった頃の
宮崎駿少年が、太平洋戦争で見た東京大空襲の光景、原体験に重なっ
ているような気がするのである。


最後に作品自体にふれるならば、相変わらず飛行シーンは素晴らしいと
思う。ハウルが怪鳥になって飛び回る姿も幻想的で素晴らしいが、何よ
り冒頭のハウルとソフィーの空中散歩のシーンが素晴らしいと思うので
ある。

おそらくはあそこでソフィーはハウルに心をつかまれ、恋をする。
そしてもしかするとそれが彼女の呪いの正体なのかもしれない。
そして同様に、映画を見ている私たちの心も、あそこでガシッとハウル
にわしづかみにされているのかもしれない。

その他にもマルクル役の神木龍之介君は今回もとても上手だし、美輪
明宏も、この役(特に後半の因業ババアなあたりとか)は彼女にしか
できないんだろうし、カルシファーの役はとてもおいしいし。
なんか宮崎アニメの総合力をドンと見せつけられましたって感じなの
かもしれない。

そしてそこに美男子のハウルというイメージ付けを上手く行なった木村
拓哉(というよりは、事前から木村拓哉がハウルという事だけをリーク
してイメージをふくらませた、鈴木プロデューサーの宣伝力の勝利かも
しれないけれど)も役に合っていたと思うし、何より、クルクルと見た
目の年齢が変わるソフィーに合った声の演技をした倍賞千恵子も上手か
ったと思うのである。

子供が見て、子供の目線で作ったというよりは、ファンタジーの世界を
必要とする大人たちに向けてつくった作品だといえるのかもしれない。


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