パラダイムチェンジ

2004年09月24日(金) 心理療法個人授業

今回は読書ネタ。取り上げるのは「心理療法個人授業」
新潮文庫の新刊として平積みされているのを見つけたので、その場で
購入。
この本、実は以前に図書館で借りて読んでいる。
その後、買おうかな、と思っていたので、渡りに船とばかりに手に入れ
たのである。

この本、タイトルにもあるように、心理療法について臨床心理学者の
河合隼雄が、南伸坊を相手に授業をした本である。
「心理療法」というと、私たちはつい、ソファに寝そべってクライアン
トの相手をするカウンセラーとか、もしくはココロジー系の深層心理が
簡単にわかるテストなどを思い浮かべる。

またカウンセラーとか、精神科医なんて肩書きを聞くと、ついこの人は
人の心の奥まで見通せるんじゃないか、なんて思いがちである。
この本は、心理療法とはそういうものでもないし、人の心なんて簡単に
はわからないものである、という事を教えてくれる本である。

ただし、わからないから役に立たないのではない。
わからないことが重要?なのである。

フロイトの精神分析にはじまり、心理療法の様々な流れを押えていく中
で、この本の根底に流れているのは、治療者とクライアントの「関係性」
こそが重要である、という事である。

今の世の中、人々はすぐにキレる。それは相手との関係性を切るのでは
なく、すでに関係性が切れているからこそ、それに苦しんで人はキレる。
だから心理療法の現場では、クライアントと治療者が「つながる」ことで
その苦しみをとり除こうとする。
すなわち、治療者が何かをすることでクライアントが治るのではなく、
その二人の「関係性」が、クライアントの心を癒すのである。

ただし、であるからこそ、その関係性は、素人が無闇に手を出すと、
「地獄の釜のフタをあける」ようにコワイものであることも、この本は
教えてくれる。

クライアントに「今から私は死にます」といわれたとき、「ああどうぞ」
とも、「死んじゃいかん」ともいえなくなった時に治療者はどうするの
か、またもしくはクライアントが治療者に、もしくは治療者がクライ
アントと恋に落ちた場合にはどうするのか。

特に面白かったのは、治療者がクライアントと恋に落ちる、逆転移した
場合のくだり。


クライアントとの問に恋愛感情が起こることは、ものすごく多いです。
特におもしろいのは、男のセラピストと女性の患者に起こりやすい。
女性のセラピストと男の患者の場合のほうが少ない。
これは僕の推理ですけど、やっぱり男の治療者のほうが、恋愛したがっ
てるんですね、どうもそうです。

患者のほうからしたら、自分のことをこんなに思ってくれて、こんなに
わかってくれるってまるで恋人と一緒でしょう、だからそう思い込んで
普通です。
で、ずうっとわかっていくと、これほどよくわかり、これほど親しい人は
他にいない。ところが、こんなに親しいっていうのは、実は恋愛とは
ちょっと違うんです。
そのちょっとの違いは、女の人のほうがわかる。男はだいたいそれ恋愛
だと思っちゃう。

「先生ほど私をわかってくれる人はいない」
というのを、クライアントはいろんな格好で表現します。
「ここへ来るのが楽しみです」とか、
「先生に会うとホッとします」とか、
そういうことを言っているのにすぎないんですが、男のセラピストの
ほうは、これを恋愛が起こったと思いやすい。

「や、困ったな、また恋愛性の転移が起こっちゃったよ」とか思うけど、
喜んでます(笑)。(略)

男の治療者っていうのは、自惚れててね、自分が好かれていると、思い
たがるんですね。女の治療者は、その辺が、ものすごく徴妙にわかって
いて、べつに男のクライアントから恋愛なんかしてほしくない。
男は、何でもいいから、できるだけたくさんの人に愛されたい(笑)。
錯覚が起こりやすい。
これは僕の考え方です。
若い人によく言うんです、この違いをよくわかるように。だんだん経験
を重ねていけば重ねていくほど、恋愛性の転移は起こらなくなる。経験
を重ねたからか、年とっちゃったからかわかりませんけどね(笑)。



なるほど、でもこの男のセンセイの方が勘違いしやすいっていうのは、
いろんな所で起きてる気もするけど(笑)。

また、生徒役の南伸坊のまとめ方もうまいと思う。
たとえば、


人間関係のとりあつかいを間違うと、病気になりやすい。軽んじても
いけないし、あんまりコワゴワやっててもアンバイが悪いです。
テキトーにすればいい。テキトーでいいんですが、そういかない。
そういかない人が、心の病気にかかってしまうようです。

マジメすぎるんだ、というセリフをよく聞きます。なぐさめる意味も
あるんでしょうが、これは私は誤解をまねく言葉だと思います。
「マジメ」というのは「いいこと」になっているわけですから、それが
少しくらい「すぎ」たって、悪いわけじゃないだろ、と思ってしまう。

問題なのは、マジメなことではなくて、不適当なことなんでした。
マジメであってもマジメすぎてもいい。テキトーであればいいという
ことであろうかと思います。



真面目すぎることが問題ではなく、それが不適当になってしまうことが
問題なのだ、とはその通り、と思わず膝を打ったのである。

他にも、「死にたい」といつも言う人は、「自分が生きたい」という気持
ちを、「死にたい」という言い方でしか表現できないなど、この先生と
生徒の授業には、私も目からウロコが何枚も落ちたのである。

そして、後半、
どうしてクライアントは治療者に話を聞いてもらうことで治るのか、
というミソ(=核心)への迫り方もうまい。

曰く、
ミソはだれにでも受けとめられるものじゃない。
たいがいの人は、ヒトの話は半分までしか聞かないのだった。
「たとえば、私、お父さんも死んでしまったし、お母さんもいないと言
ったら、そりゃかわいそうにと誰でも言います。だけど、なんべんでも
言っていたら、自分でしっかりやりなさいとなります。悲しいことがあ
っても人間は頑張れば頑張れる、とかお説教になる。要は聞いていない
わけです」
心理療法家はちゃんと聞く、とことん深く聞く、聞き流さないで本当に聞く。そうしたらどうなるか?治療者とクライアントに「人間関係」が
できてくるんでした。
「心理療法においては、『人間関係』が重要な要素をなしている」
のだ。(略)


「そもそも心理療法というのは、来談された人が自分にふさわしい物語
をつくりあげていくのを援助する仕事だ、という言い方も可能なように
思えてくる」

アッ、と思いました。
これじゃないですか―なんで療法家とクライアントに人間関係が出来
て、話し合ううちに治るのか、それがアッサリ明かされているんです。

「たとえば、ノイローゼの症状に悩んでいる人にとって、その症状は
自分の物語に組み込めないものと言っていいのではなかろうか。
たとえば不安神経症の人は、その不安が、なぜどこからくるのかわから
ない故に悩んでいる。その不安を自分の物語のなかにいれて、納得が
いくように語ることができない。そこで、それを可能にするためには、
いろいろなことを調べねばならない。自分の過去や現在の状況、これ
まで意識することのなかった心のはたらき、それらを調べているうちに、
新しい発見があり、新しい視点が獲得される。その上で、全体をなる
ほどと見渡すことができ、自分の人生を『物語る』ことが可能となる。
そのときには、その症状は消え去っているはずである」

物語というのが、ミソだったのだ。本の帯にはこんなコピーが書きつけてある。
「人生の処方箋生きるとは、自分の物語をつくること!」



この本は、心理療法とはこういう世界であるということを教えてくれる
本であると同時に、普段はあまり心理療法にお世話になることもなく、縁の遠い私たちの生活の中でも、人と人との関わり方、人間関係がどう
重要なのか、という事を教えてくれるいい本だと思う。

人生に正解はないけれど、生きるって大変だ、と思う人にオススメの
本である。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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