パラダイムチェンジ

2004年06月10日(木) 妄想ドライヴ

今回も「庵野秀明のフタリシバイ」からのネタ。
今回の対談相手は田口ランディ。
今回私の目に止まったのは、この部分。

田口 なんで男の人は一点に集中したり、遊びに没頭できるのかなって
   思っていたのだけれど、つい最近、多分、あらかじめ男っていう
   のは女より相当身体性が失われていて、体の感覚が鈍いんじゃ
   ないかって思うようになったんです。

   体と自分の密着度が女より低いっていうか、遊離してて、自分の
   体というものにあまり信頼を置いていないのが男で、それをある
   妄想力で補っているんじゃないかな、と思うようになりました。

   女ってこんなことをして、自分にとどまっていなくても、自分が
   自分であるってことを自覚していられる。男の人は、よくわから
   ないけど、私というものにこだわるためになにかツールが必要な
   んじゃないかって。

庵野 男の方が弱いし存在希薄だと思いますよ。動物学的には、女性は
   数が多ければ多い方がいいんですけど、男って理論上はひとりで
   いいんです。種はひとりで十分。常に一番じゃないといけないん
   です。だから負けたくないんでしょうね。男は常に女性に対して
   存在価値を気にしなくちゃならない、かわいそうな生き物だと
   思います。

田口 かわいそうですか?私はかわいそうとは全然思わないです。私は
   「そういう特性を持ってるから、それはそれで人生楽しそうで
   良い」と思うわけです。女とは別の楽しみ方を持っているから。

   子どもの頃からうらやましいと思ってたのは、その身体性のなさ
   の部分を妄想力で補ってる、妙に特化した妄想力に憧れていたん
   だろうなって、最近になって思うようになりました(略)。

庵野 女性の漫画家によく言われますよ。

田口 言われる?

庵野 ええ、「世界観を創造できることが、うらやましい」っていう
   ようなことを言われますよ。



さて、この部分を読んで私がもしかしてそうかも、と思ったのは、
「自分の妄想する力って、もしかして落ちてきているんじゃないか」と
思ったのである。
つまり、「自分の身体性のなさ」を補う意味での妄想力に、だんだん
頼らなくなってきている自分を感じるわけなのだ。

これは、私の男性性が落ちてきている事を意味するんだろうか?
だとしたら相当の危機のような気もするが、というよりは、自分の妄想
する力よりは現実に存在する肉体とどう向き合うか、という方に関心が
シフトしているんじゃないかな、と思うのだ。

そしてそうなっている原因は、否が上でも人の肉体と向き合う、自分の
仕事にあるんだろうという気がする。
なぜ、そう思うのか?それはこの仕事を始める前の自分が、妄想力バリ
バリの人間だったからである。

妄想によって感じる快感、それは脳内の麻薬(快感)物質の放出による
快感だろう。

ちょっと前、と言っても10年前位、バーチャルリアリティの可能性に
ついて論じられている時、将来、人間(男性)は、実際のSEXより、
ヘッドセットから脳内に直接送られるSEXのイメージつまりヴァーチャ
ルSEXの方に快感を覚えるかもしれない、なんて話があった気がする。

いやもちろん通常のSEXもなくならないだろうが、そういうヴァーチャ
ルSEX産業が花盛りになる、という予測もあったような気がする。
そしてそれがいわばバラ色の未来の可能性として、語られていたと思う
のである。

でもね、今現在の私の感想は「そうなったら嫌だな」である。それは
たとえば人間もオールCGのムービーやCM(大塚美容整形外科とか)を
見た時に感じる違和感に近い。つまり、本当はそこに生身の人間がいる
からこそ楽しいんじゃないか、と思うのである。

でも、ヘッドセットから直接イメージの流れるヴァーチャルSEXの実現
はまだ先でも、いわゆる欲望産業って相当脳内補完快楽的、ヴァーチャ
ル的になっているのかもしれない。

たとえばAVにしたって、他人のしているSEXのイメージに対する興奮だ
し、いわゆる「萌え」の感覚というのも、それに近い感覚なんじゃない
かな。つまり、実際手が届かない範囲にいるアイドルやアニメキャラ
だからこそ、それこそ脳内補完的に、妄想で快楽を生み出しているん
じゃないかな、と思うのである。

そして、極端にいってしまえば、ドラッグだって脳内快楽系の産物だろ
う。合法だろうが非合法だろうが、薬物で脳内に快楽物質を作り出しな
さいと命令される快楽は、それが好きな人にはたまらないものなのかも
しれない。


またそこまでいかなくても、脳内補完快楽系って、今ではそんなに珍し
いものではないかもしれない。

5月末の土曜日の討論番組「ジェネジャン」のテーマは「負け犬の遠吠
え」だった。ここで面白かったのは、負け犬、とされる女30代独身組と
勝ち犬とされる結婚組、子持ち組の価値観の違いだった。

出演者の加藤鷹は、「負け犬組はヴィジュアルにこだわっている」と
言っていたが、個人的には「脳内系」の意見が多かった気がするのだ。
たとえば「結婚したって、旦那が浮気するに決まっている」とか「結婚
したら、自分に対する投資額が減ってみすぼらしくなっちゃう」とか。

ま、独身負け犬男性の私にとっても相当身につまされる話だが、これっ
て絶対そうなると決まった事ではないと思う。これって言い訳という訳
でもないけれど「自分が独りでいることを正当化するための理由」なん
だと思ったのである。

ただし、だから負け犬層が駄目なんだ、というつもりはない。自分が
独りでも生きていけるという心の拠り所を持って、社会で頑張れる事は
本気でいいことだ、と思うし。
現代日本の文化と消費社会でかなりのウェイトを占めているのは、
自分を含めたこういう負け犬層だと思うし。

ただ、いわゆる負け犬層と、自分の身体性のなさを脳内で補完する男性
的な快楽系との相関を考えてみたかったのである。
それが悪いと言うのではなく、それが目立たないほど、現代日本自体が
かなり、脳内補完快楽的な社会になっているんじゃないのかな。

でね、「負け犬」にせよ、「萌え」にせよ、自分で自分に意味を持た
せるというか、肩書をつけることで、脳内的に安心しちゃっている
部分もあるんじゃないのかな、と思うのだ。

でもそれは「フリーター」だって、そして「セレブ」だってそうだ
ろうし、現代の私たちは、自分に肩書がつかないと、安心できなく
なっているのかもしれない。


妄想自体が悪いと言うつもりもない。たとえば社会的な成功とか、目標
を達成するのも、自己実現を目指して実行するという妄想の力だとも
言えるかもしれない。
そもそも、ザ・少年漫画の「巨人の星」の主題歌にある「おもいこんだら」の思い込む力も、努力と根性も、男性的な妄想の力だと思うのだ。

そして今までの日本社会でなかなか女性が男性と伍して成功数が少ない
のも、男性と女性の妄想の構造の違いなのかもしれない。
逆に言えば、現代社会で成功する女性経営者というのは、この前の
「ジェネジャン」に出ていた「恋から」卒業生の女性もそうだけど、
かなりの割合で「男性化」しているのかもしれないし。

そう考えると、フェミニズムというのは、女性も男性に負けないように
どんどん男性的な妄想を抱け、という運動だったのかな。そしてもしか
するともう既に相当そうなっているのかもしれない?


と、いうことを踏まえた上で、私が何を考えるかと言うと、「でも、
脳内補完快楽系=妄想系だけの世界じゃつまらない」である。

つまり、そこに自分の肉体があり、自分の目と鼻と舌と耳と皮膚感覚を
通して様々なものを感じられるからこそ、生きてるって面白いんだ、
と思うのである。そして、自分の体の調子がいい時はハッピーになり
具合の悪い時にはブルーになるからこそ、自分の体の調子のいい時の
気分のよさが際立つんじゃないかな、と思うのだ。

つまり肉体を通して何かを感じ、そして肉体を通して何かを実行する
事が「生きる」という事なんだな、と改めて思うのである。


最初に書いた、私の妄想力が落ちてきた、というのはもう一方で逆の
見方をすれば、「妄想する力=脳内補完快楽系」と肉体的感覚実行系
のバランスがとれてきた結果、脳内で何か意味を補完しなきゃいけない
割合が少なくなってきている、とも考えられる訳で、自分の妄想力=
想像力が全くなくなって来ている訳でもないと思う。

身体と意識のリンクが太くなることで、有り余っていた妄想力を、別の
形でも使い始めたって事なのかな、と(妄想的に)私は思うのだ。


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