佐世保市で小学校6年生の児童が、同級生を刺殺した、という事件。 マスメディア的には、それがインターネットの書き込みが契機となって 起こり、TVドラマの殺害方法を模倣し、愛読書に中学生が殺しあう 「バトルロワイヤル」があった事に注目して、物語というか意味づけを 行なっているようだ。
でもさ、子供の心がわからない、のではなく、わかろうともしてない というのもあるんじゃないのかな。 そして子供の心が発達してないんじゃなくて、それを取り巻く大人の 心が成熟してないという可能性もあるんじゃないのかな。
おそらくこの事件を養老孟司的に読み解くのなら、「加害者の少女は、 現実の死とヴァーチャルな世界の死の区別のつかない、身体性 の失われた『脳化社会』を生きているのであり、そしてそれは、何も この少女だけに限った話ではないので、同様の事件が今後も起きても 不思議ではない」なんて話になるのかもしれない。
そして、その考えでいくならば、結局現代に生きる私たちが、いかに 自分自身の肉体を含めて、身体性というものを置き去りにしてきている のか、という話になると思う。でも、いくら原因がそうであったとして も、それで死んだ女の子が生き返る訳ではない。一つの生命のかけがい のなさ、取り替えようのなさ、について思いをはせることが、こうした 事件の一番の教訓なのかもしれない。
さて、この事件と前後した頃、たまたま読んでいた本に、こんな記述が あった。 読んでいたのは、美輪明宏と斎藤孝の対談本「人生讃歌」。
美輪 型と同時に大切なのは、「変化」の妙です。(略) つまり、この地球の法則は「変化」だと思うんですよ。(略) だからこの地球上では、ものにしても人間にしても、すべての ものは変わっていくんです(略)
今言った「変化」が、音楽でも住まいでも、また着るものでも、 この世のあらゆることにおいて、とても重要な鍵を持っている ということですね。
今日、私が着ている衣装も、布地に凹凸を持たせた「襞」があり ますが、これも変化なんです。
斎藤 (略)人間は、そういう「変化」に心を沿わせていると、落ち 着いてくるということがあると思います。
僕は、布地などの「襞」の変化にも惹きつけられるところがあり ます。そのラインに沿って、見る人がつい視線をたどってしま う。見る人の心がゆるやかに寄り添っていくような動きが「襞」 にはあるんです。その「変化」が見る人を惹きつけるんですね。
人間の心にも、やはり「襞」というものがあるんです。感情の 「襞」と言ってもいいのですが、感情には当然、起伏があって、 その感情の起伏によって、相手とコミュニケートできるという 面がある。
ことにこの感情の「襞」というか、変化が大切だと感じたのは、 「ムカツク」という言葉を調べていたときです。ムカツク状態 というのは、感情の「襞」がなくなって平板になっているからだ ということがわかったんです。
(略)そういう子供たちは、言葉が平板なだけでなく、感情が、 美輪さんが言われたような建築物で言えば、灰色のコンクリート の打ちっ放しのような状態なんです。だいたいつねに灰色で気分 が悪いんです。彼らは、すごく気分がいいとか、すごく悪いと いうことはない。慢性的に悪いという。
つねに悪い方で安定している。だから、いつもムカツク状態だと 言います。そんなふうだから、彼らといつも接していると教師で さえもつき合いきれなくなってしまう。教師も、もう教える根気 が持てなくなってしまう。
そういう彼らを見たとき、「心の襞というのも、そういう『ムカ ツク』という言葉のヤスリでずっと削っているうちに、なくなっ てしまうんだな」と思いました。
彼らのべったりした感じの感性、それは感情の「襞」がない状態 なんです。
ちなみにこの本、本文中に美輪明宏の代表作「黒蜥蜴」も出てくるが、 まるで、マダムと明智小五郎の関係のように、お互いに尊敬しあい、 かみ合った対話のオンパレードである、と言ったら誉めすぎか。
また引用文中では省略してしまったが、これまた偶然?斎藤孝の「ムカ ツクからだ」という本が新潮文庫から今月発売されたらしい。電車の 吊り革広告で発見した。
で、引用文に戻ると、でもそうかもなあ、と思う。 いわゆる「閉塞感」って、何も変化がないと思うからこそ、自分では どうしようもないと思うからこそ、「ムカつく」のかもしれないし。
そうした状況だと思うことが、心の襞にヤスリをかけることだという のは、言いえて妙かもしれない。
私自身は、最近は逆に、よほどの事がなければ、ムカつかないし、キレ ない。それは仕事上、人間が相手で、しかも複雑にこんがらがってしま ったような身体を相手にして、それをほぐす事を生業にしていると、 結局、根気よくほぐして「変化」させるよりしょうがない、とも思う わけで。
そのためには、1種類の手法にこだわらず、多種多様の方法を身につけ ないとしょうがない訳で。
人間関係も同様で、キレてしまうのは一瞬だけど、キレないようにする ためには、やはり一本一本、少しずつ糸を手繰り寄せていくしかないん だなあ、なんて思うのである。ま、もしかすると、その分エネルギーは 消費している訳だけど。
でもね、この本の考えに沿っていけば、キレない心を作っていくため には、心に一見無駄とも思える襞を作っていくことなんじゃないかな、 と私自身も思うのである。
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