さて、今回は前々々回?の続き。
「健全な精神は健全な肉体に宿るか」の続きである。
個人的に「健全な精神は健全な肉体に宿る」という意味には、 納得することはあっても、どこか違和感を感じるのが、元々の 原因だった。
結局、原語のmens sana in corpore sanoに対して、 「健全な」という訳語を与えたことが、原因なんじゃないのかな。 いや、もちろん、これを訳した当時の言葉で言えば、「健全な」以上に ピッタリ当てはまる日本語はなかったのかもしれないけれど。
そのうちに「健全な」という部分が、エスカレートして解釈されていく ようになった気もするんである。 すなわち、より「完璧な」という意味が付け加えられていったというか。
でも、じゃあ「健全」ってなんなんだよ? という問いをした小説があったことを思い出した。 それは、山田詠美著「ぼくは勉強ができない」の中の一節である。
「秀美はねえ、要するに健全すぎるのよ」
「いいじゃねえか、健全なのって」 ぼくは、真理の言葉の意味を計りかねて、首を傾げていた。
「そりゃ、いいわよ。安心できるわ。でも、男と女のことに関しては、 どうかしら。つまんないわよ、あんまり健やかなのってさ。体が健全な のは基本なのよね。健康な肉体って素敵だと思う。特別な好みを持つ人も いるけど、たいていの人は、健康な肉体に性的なアピールを感じるわ。 肉体って、即物的なものだもん、恋愛においてはね。解り易いっての?
でも、精神状態も、健全だってのは困るのよ。もっと不純じゃなきゃ。 いやらしくないのって、つまんないよ」(略)
「やらしいって、セックスのこと?でも、男と女って、そればっかりじゃ ないだろう?」
「でも、始まりは、そういうことなんじゃないの?(略)男と女が魅かれ 合うのって、動物の雄と雌が求め合うのとそんなに変わりないと思うん だよね。片思いで恋焦がれるのは結構だけど、そこには、必ず、セックス に訴えてる部分って大きいように思うわけ。好きな人の前で顔が赤くなっ たり、胸がドキドキするのもそう。求めてるって気持ちが体に表われる じゃない?クラスの女の子なんて、セックスの経験乏しいからさ、わかん ないのよ、きっと。神経が、下半身までまわんないのよ。あの子たち、 私がこんなこというと、すごくやな顔する。自分たちは、もっと純粋なん だって、思いたいみたいね。プラトニックな恋愛ってのももちろんあるで しょう。でも、それは相手が欲しいって気持ちを続かせているだけだと 思う。欲求不満の快感なんだと思うわ」(略)
「どうして時田は、そんなことを考えるようになったんだ?」 ぼくは、真理との会話の内容を先生に話した。先生は、興味深そうに、 ぼくの話に耳を傾けた。
「彼女は、わりと賢いな。心身共に健康なのは、もちろん良いことだが、 無駄がなさ過ぎて退屈なんだと言いたいんだろう。時田、いいかい、 世の中の仕組は、心身共に健康な人間にとても都合良く出来てる。健康な 人間ばかりだと、社会は滑らかに動いていくだろう。便利なことだ。
でも、決してそうならないんだな。世の中には生活するためだけになら、 必要ないものが沢山あるだろう。いわゆる芸術というジャンルもその ひとつだな。無駄なことだよ。でも、その無駄がなかったら、どれ程 つまらないことだろう。そしてね、その無駄は、なんと不健全な精神から 生まれることが多いのである」(略)
とまあ、ちょっと長めの引用をしてみた。 本当はまだまだ引用したい部分もあるんだけど、あんまり長すぎるのも どうかと思うんで、気になった人は手にとってみてくださいな。
さて、この引用文中の、主人公時田秀美君に対して、健全さについて説く 幼なじみ、真理と時田秀美の尊敬する先生の意見は、言うまでもなく、 作者である、山田詠美の分身であり、その意見は山田詠美自身の意見 だろう。
で、彼女の考えで言えば、肉体が健全であるのは、賛美されるべき事で あるけれど、精神が健全すぎるのは、退屈だし、考えもんだ、という事 なのかもしれない。
で、この部分を引用した私も、そうかもなー、と思うのである。 人が「健全な」精神というとき、もしもそこに精神の完璧さを求めると するならば、その精神とは、無駄や隙のない、そつのない精神といえる のかもしれない。
でもね、例えばそんなそつのない、非の打ち所のない精神を前にした時、 私たちはどう感じるだろう? なんで、この人はこんなに人間味のない、疲れる人なんだろう、と 時として、自分の非を棚にあげて思ってしまうような気がするのだ。
で、結局その人らしさや、人間味っていうのは、もしかしたらその人の 醸し出す隙、にこそあるんじゃないのかな、と思うのだ。
もっと言ってしまえば、その人に隙があり、その隙に対して、例えば カワイイなんていう感情移入をするからこそ、その人に好感を抱いたり するんじゃないだろうか。
すなわち、隙が好きを生み出してくれる気がするのだ。
もちろん、自分が好きになる相手には完璧さを求める人もいるかも しれない。 もし、そういう人が好みの人だったら、私なんかはストライクゾーンに かすりもしないと思うけど。
でも、一見不完全な、無駄とも思える部分もある相手だからこそ、 愛すべき存在になる気もするんである。 まあ、あまりに不完全だと、あきれられて、話にもならないのかもしれ ないけれど。
でも、自分の精神を完璧さにチューニングするよりは、より人間くさい 存在でいたいな、なんて私は思うのだ。
|