パラダイムチェンジ

2003年06月13日(金) しょうがない

実は最近、前回の「バカの壁」で取り上げた、「話してもわからない」
状態に、奇しくも遭遇した事がある。


それは、久しぶりに会った女友達と、一緒に食事をしている最中。
話がたまたま、マスコミ報道のいい加減さという話題になり(今から
考えればそんな話をすること自体が間違っていたのかもしれないが)、
つい、「でも、マスコミに目くじら立ててたってしょうがないよなあ」
と言ってしまったら、途端に彼女に怒られた。

「○○君、そういう言い方はよくないよ」
「えっ?」
「何でもさもわかったような顔して、しょうがないとか言うの、
 すっごく後ろ向きな発言に聞こえるんだけど」
「え、いやでも、俺ってこういう人間だし」
「そう、いつもそうやって開き直るの、悪い癖だよ。考えてみたら
 昔からそういう所あるよね」

となり、どうやら私は相手の気分をいたく害してしまったらしい。
果たして今、彼女の機嫌が直っているのかどうかもわからないんでは
あるが、まあ、確かに私には、物事をハスに構えて見たがる癖がある
かもしれない。

彼女に限らず、そのことで気分を害している私の周囲の人がいたら、
そこら辺は謝っておこうと思う。いや、マジで申し訳ない。

で、考えてみれば、確かに「しょうがない」は最近の私の口癖である。
でも、「しょうがない」を連発しているから、何かを諦めてしまって
いるわけではなく、個人的には、結構ポジティブな意味のつもりで
使っていたんで、指摘されてビックリしたわけだ。

とりあえず、しょうがない(原語は仕様がない)を広辞苑で調べてみる。
すると、「施すべき手がない。始末におえない。しょうがない」となる。
確かにこれらの意味で言えば、後ろ向きの発言と取られても、しょうが
ない。


しょうがない、と似たような言葉で「どうせ」という言葉がある。
で、この「どうせ」という言葉を聞いて思い出す文章がある。

それは、北村薫の小説「スキップ」 の中の一節。


 さらに、わたしはそこまで考えもしなかったことを付け足していた。
「《好きな言葉、嫌いな言葉》を書いてもらったわね」
 チームは、とまどいつつ、頷いた。
「はい」
「嫌いな言葉は《どうせ》だと書いた人がいるわ」
 正面の高い窓が明るく光っていた。

「―わたしも嫌いよ。―《どうせ》ボールは島原さんのところに来るん
だ、はやめよう。《どうせ》勝てないんだ、もやめよう。どうなるかは、
神様にしか分からない。でも人間には想像することができる。イメージ
することができる。だったら、勝った自分達を考えてみよう。目をつぶっ
て、十分後の、皆なの―」と、わたしは手を広げた。手の両側には、わ
たし達のクラスの子が広がっている。「歓声を聞いてごらん」

 再び、チームは顔を見合わせた。柳井さんが、目をつぶろう、と
いった。十秒ほどの黙想。木場さんが、ぱっと目を開き、おどけた調子
でいった。
「―聞こえたぞ」



と、まあこんな感じで、「どうせ」に対しては私もあんまり好印象は
ないんだけど。
「どうせ」と言った言葉の後ろには、どうしても後ろ向きの否定語が
ついてしまうと思うのだ。「どうせ」何をやったってうまくいかないん
だから諦める、のように。

でも、「しょうがない」の中には、決して後ろ向きではない「しょうが
ない」もあると思うのだ。
すなわち、私が「しょうがない」という言葉を使うときは、「しょうが
ない」から諦める、んではなく、「しょうがない」から、そこから何と
かしようと思うのだ。

何でそんな事を思うのか。
それは、前にも書いたけど「人は無条件にわかりあえるわけではない」と
思うから。

逆に言えば、簡単には相手のことも理解はできないし、そして私の事も
理解はしてもらえないからこそ、理解しようとお互いに努力するんじゃ
ないだろうか。

日本には、「以心伝心」という言葉があるけれど、これは以前に鴻上尚史
がエッセイで述べていたんだけど、人の願望であるとあると思う。
つまり、なかなかお互いに理解できないからこそ、「以心伝心」の境地に
憧れるんだと思うのだ。

でも、実際に本当に相手の心の中が手に取るように分かってしまったら、
どうだろう。何かをする度に「あ〜それやだなあ」とか「お前うざいよ」
なんて言葉が聞こえてきたら、誰だってイヤなんじゃないのかな。

で、話を元に戻すと、「相手になかなかわかってはもらえない」という
前提だからこそ、自分の言葉が相手に伝わらなかった時は「しょうがな
い」と私は思うのだ。

でも、「しょうがない」から諦めるのではなく、この言い方で伝わらな
かったんだったら、別の言い方はどうなんだろう?とそこから試行錯誤
が始まるわけで、それが私にとってのコミュニケーション方法なんだけ
れど。

だって、何かが伝わらなかったからといって、そこで放棄していたら、
自分の言葉が伝わるチャンスがどんどんなくなる訳だし。

で、ついでながら言うと「しょうがない」の一般的な使用例って、
例えば幼児がミルクをこぼした時に「あーあー、しょうがないなあ」
みたいな使い方だと思うんだけど、この場合、言った本人は、物事を
後ろ向きに捉えて、諦めたままにしているのかな。むしろ、今度はこぼ
させないようにしないと、なんて思っているんじゃないのかな。

っていうか、もしかするとそんな感じで高みからの発言のように聞こ
えたことが、相手の感情を逆撫でしていたとか?

とまあ、そんな事を思いつつ、その場はいろんな弁解というか、説明を
加えようと努力したんだけど、その場は結局、
「ぜんぜんわかんない」
「たとえ話がよく見えない」
と、にべもなく否定されてしまった。

うーん、やはり人に何かを伝えるというのは難しいなあ、と思ったんで
ある。
まだまだ、修行が足りないようだ。

果たしてその女友達がこの日記を読んでいるかどうかはわからないんだ
けど、以上を持って私の弁解としたい。

でも、やっぱり「わからない」と言われるかもなー。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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