2003年05月29日(木) |
ナイーブな人(11)異物を取り込む力 |
関係ないけど、村上龍のエッセイのアンソロジー集に「自殺よりはSEX」 というタイトルの本があったことを、昨日の日記をUPした後で思い出した <いやマジで。
残念ながらその本は読んでいないんだけど、種を明かせば、実はSEXに関 するリアリティのくだりは、これから引用する、村上龍と田口ランディの 対談の他の部分にインスパイヤされたものであった事を打ち明けておこう。 とりあえず、この対談、個人的にすっごく面白かったんである。
さてそれでは前回の続き。 彼らは何故、SEXよりも自殺を選んだんだろうか、という問題。 そのヒントになるかもしれない話が、 「存在の耐え難きサルサ」の中の 村上龍と田口ランディの対談の中にある。
田口 私がいつも相談に乗ってもらっている精神分析医がいて、その人 が以前にこんなことをいっていたんです。ふつう、僕らは異物と して世界からの刺激を取り込んで、それをエネルギーにしている んだけども、妄想は、それができない人間が自家発電で起こす異 物なんですよと。でも、自家発電はすごく電流が弱いし、すぐ切 れるんです。だから、自分の中で自家発電をしながら、自分の中 に異物をどんどんつくり出していくんだけれども、それは生きる という意味での力が本当に弱い。だから自閉は、生命力を持って いないパワーをつくる装置だというんです。
じゃ、人間にとっての生命力は何かというと、僕はそれはわから ない。でも、とにかく人間には生きたいというパワーがあって、 それを持っているから外のものも取り込めるんだけれども、自家 発電をすることによって、そのパワーは弱くなるんですよという。
村上 スパイラルになって、循環的になっていって、どんどん自分で消 耗する。
田口 パワーはすごく出るんです。でも、それは生きる方向に向かわな いパワーになっていくというようなことを説明されて。
村上 ちょっとデフレスパイラルみたいなものですね、どんどん縮小し ていく。
田口 その説明はすごく納得できた。
村上 それはおそらく正しいですね。
田口 そういう状況に入っちゃうと、かなりきつくなっていく。自家発 電によって妄想が大きくなっていくから、殺したり、そういう力 は出てくるんですって。けれども、それは生きる力には向かわな い。
村上 戦略的に考えて、こうした方がアドバンテージがあるとか、こう した方が自分がより自由になるとか、充実した人生があるとかと いうようなことに向かわないんですね。
田口 そう、ただ漏れ出してくる妄想の力なんです。
村上 引きこもりとかパラサイト・シングルの人に対して、平気で、そ ういう人は何か弱いんだという人がよくいますよね。すると、何 かドキッとするんだけれども、何が脆弱かわからなくて、今田口 さんがいったことで、少しははっきりと輪郭がつかめました。
ただ、その人が弱いとか脆弱だとして、強くなるためにはとか、 強さは何かというと、やっぱりわからなくなる。
田口 わからないですね。脆弱であることが悪いとかいいとも決められ ないから。
村上 いい部分もいっぱいあるものね。
この引用文中で取り上げているのは、引きこもりの問題であるんだけど、 生きる方向に力が向かない、という意味では、共通する部分があると思う。 異なるのは、引きこもりの人の場合、自分の外側にある世界とうまく付き合うことができないことが、内側にこもることに対して、集団自殺の人たちの場合は、「一人ではなく複数の人と」他の人の入り込むことのできない内側を形成し、死へと向かうことだろう。
誰にも侵されないという意味では、彼らは死ぬ瞬間まで、一種の幸福感に浸ることができるのかもしれないけれど。
そして例えば同様の事は、例えばストーカー殺人をしてしまう人の心理とも共通する気がするのだ。
ただし、私がこの文章を引用した理由は、彼らと私たちの心理的な違いを際立たせようとしているわけではない。 この引用文中の「異物として世界からの刺激を取り込んで、それをエネルギーにしている」強さを、それでは私たちがどれくらい持っているだろうか、という事が問題なんじゃないかな、と思うのだ。
なぜなら、今現在の日本を見回す限り、日本の社会に足りないのは、実は この「異物を取り込み、同化する力」なんじゃないかな、という気がするからである。
でも、たとえば過去の日本を考えてみてほしい。 過去、私たち日本人は、外部からの刺激に対して巧みに適応してきたのではなかったのだろうか。
例えば、1000年以上前には中国文化を取り込み、100年前には西洋文化を取り込み、50年前の敗戦の時には彼らの品質改善の手法を取り込み、それを日本風にアレンジしてきたからこそ、今日の日本の繁栄があるのではなかったか。
また例えば、30年前、自動車の排ガス規制があったときには、全世界でいち早く日本のホンダが適応したように、かつての日本人には、外からの刺激を受けいれて活力を生み出していたんじゃないかと思うのだ。 それは、まさしく「プロジェクトX」の世界だといえるのかもしれないけれど。
と、いうことで次回。
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