2003年05月20日(火) |
ナイーブな人(2)「白装束集団事件?のナイーブさ」 |
さて、今回は「ナイーブな人」の2回目。 そもそも、こんなことを思ったきっかけは、あの「白装束集団」の報道 が、きっかけだった。
白装束集団の行動だけを見て、「ナイーブだな」と思ったわけではない。 それを報道しているメディアも、そしてそれを見ている視聴者も含めて 「ナイーブ」なんじゃないかな、と思ったのだ。
白装束集団に関して、私が「ナイーブすぎる」と思った点は、大きく 分けて3つある。
一つは、彼らが「何とか波」だとか「二ビル星」だっけ?の衝突とか、 「反共ゲリラ」だっけか?からの襲撃なんてことを本気で信じている事。
二つ目は、「その彼らにしか通用しない(共有されていない)内側の論理 が自分達の外側でも通用すると思っている」こと。
そして三つ目は、あくまで個人的な想像の範囲で考える、「彼らの行動の 謎」である。 果たして、彼らはなぜ、今の時期にこれだけの脚光を浴びる羽目になった のか。
そもそものきっかけは、彼らと同一の集団と思われる一団が「タマちゃん のことを想う会」として、アゴヒゲアザラシのタマちゃんの捕獲に乗り出 して失敗し、その後地元住民ら「タマちゃんを見守る会」とのいざこざを 起こしたことがきっかけだった。
その後、「タマちゃんを想う会」と「白装束集団」との関係が表沙汰に なり、今にいたるんだけど、ここで一つ、疑問が起きる。
彼らはなぜ?あの時に両者に関係性があることを隠し立てせず、むしろ 積極的にアピールしているように見えたのか。
「キジも鳴かずば撃たれまいに」ではないけれど、あの時彼らがじーっと おとなしくさえしていれば、こんな大騒ぎに発展することもなく、彼らは 岐阜だか福井の山中で今もひっそりと過ごせたんじゃないだろうか、と 思うのだ。
そして、その疑問に対しての、私の答えは次のようなものである。 「この一連の騒動は、彼らがマスコミに騒いでほしくて行なった、一種の デモンストレーション」なんじゃないのかな。
では、なぜ彼らはそんなことを行なったのか。 無視されて寂しかったから?それとも新たな信者獲得のため?
いや、これは想像の域を出ないけれど、おそらくは、 「彼らは5月15日に二ビル星が地球にぶつかると本気で信じていて、 その脅威を、ノアの箱舟よろしくできるだけ多くの人に知らせたかった だけ」なんじゃないかな、と思うのだ。
そのためには彼ら自身がどんなにさらされようが迫害を受けようが構わない。 また彼らの論理で言えば、本気でタマちゃんを箱舟に乗せたかったのかも しれない。
すなわち彼らの行動には、何らかの悪意があったわけではなく、彼らなり の「善意」まさしく「ナイーブ(純真で幼稚)な」善意の押し付けが、 一連の行動だったんじゃないかな、と思うのだ。
だから、騒動の始まりが二ビル星がぶつかるとされた5月15日の約1ヶ 月前に始まり、5月15日を過ぎたら急速に終息に向かった理由もわかる 気がするのだ。
そして、その一方でそんな「白装束集団」に振り回され続けたメディア や、私たちの対応も「ナイーブな」ものであったような気がする。
それは例えば、彼ら白装束集団がどんなことを信じていて、どんな「トン デモ」行動をしているか、面白おかしく報道している限り、彼らの異質さ を浮き彫りにしているだけで、では実際彼らをどう取り扱うのか、という 対処法に関しては、ちっとも迫っていないことかもしれない。
すなわち、自分の外側にあると思うものに対しては、強烈な拒否反応しか 示していない。
これは、8年前のオウムの過熱報道となんら変わるところはないし、むし ろオウム報道のフォーマットをなぞっているに過ぎないと思うのだ。
ここで話を一旦整理してみると、白装束の集団にも、そしてマスメディア の連中にも共通して言えるのは、 「自分達の内側で通用する論理が自分達の外側でも通用する」と思って いる事。そして、 「自分の外側にあって、理解の範囲を超えることに関しては拒否反応を 示す事」 だと思う。
あれ?でもこれって彼らだけの問題ではなく、もしかすると 我々日本人も内包している問題なのかもしれない。
と、いうことで次回に続く。
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