もののけ姫を劇場公開以来、久々に見てみて、その内容の意外な 濃さにびっくりした。 私が初めて見たときには気がつかなかった事がいろいろとあったのだ。
考えを整理してみようと、もののけ姫でWEB検索をしてみたんだけど、 その内容も賛否両論に別れているようだ。 はっきりと、失敗作だとけなしている意見もあれば、いや、これこそが 宮崎アニメとして一番好きだという意見もあって面白かった。
さてもののけ姫、個人的に一言で言うとすると、スゴイの一言である。
というか、この作品が、もちろん日テレの宣伝合戦や、宮崎アニメの ブランド力もあっただろうが、国内空前の大ヒットをしたという事が すごいと思うのだ。
だって、一つのエンターテイメントとして売れる内容としては、 あまりに過剰な、というか重いテーマを扱っていると思う。 逆に言えば、この作品をエンターテイメントとして、流通させ、 あまつさえディズニー通じて世界配給をさせてしまうことに、 ブランドとしての宮崎アニメの力があるのかもしれない。
それでは個人的にどの辺にすごさや過剰さを感じたのか。 第一点は、物語のボリュームだろう。
この前見た「千と千尋〜」でもそう思ったんだけど、2時間強の 一本の映画としては、考えられないくらいの物語のボリュームだと 思うのだ。 変な話、この1本で2、3本の映画ができる位の量があるんじゃ ないだろうか?
例えば、最初の蝦夷の村の生活から、タタリ神が乱入して、退治する だけでも一本の作品はできるだろうし、タタラ場の生活と、侍との戦い だけでも一本の作品ができるんじゃないだろうかって気がするのだ。
それだけの内容を、2時間強の一本の作品にぎゅうぎゅうに押し詰めて いるから、まるでダイジェスト版のように感じるのかもしれない。 なんかちょっともったいない気はするけど、でもこれが劇場用公開 作品じゃなかったら、これだけのクオリティは維持できないような 気もするし。
そしてもう一点、私が感じたすごさというのは、あえて物語を複雑に していることだ。 この作品、主人公アシタカの呪いを解く旅として描くだけなら、 もっと簡単な話にできると思う。
例えばタタラ場の主人、エボシを単なる悪役として描き、シシ神に 首を返し、そしてサンと最後は結ばれ、森か自分の村に帰って幸せに 暮らしている。 そんな話のほうが、観客のカタルシスというか、満足感は高かった のかもしれない。
例えば、「風の谷のナウシカ」や「ラピュタ」、そして「未来少年 コナン」なんかは、そんな大団円が待っていたような気がするのだ。
でも、宮崎駿はそんなありきたりのカタルシスをここでは拒否する。 もちろん今までの宮崎作品でもそうではあったんだけど、ここでは 明確な正義や敵、という概念を突き崩しているような気がするのだ。
この作品の中で、宮崎駿は登場人物の誰をも否定をしていない。
例えば、タタラ場を、自然環境を壊すもののけ達の敵である、と規定 してしまうのは簡単なんだけど、そこには、暮らしている人々がおり 生きるための基盤としての生活がある。
エボシは、もののけたちを殺し、シシ神の命を狙う人ではあるけれど その一方では、女たちや呪われた人たちを拾って人として養っている 人でもある。
そしてもののけ達はもののけ達それぞれの理由で、生きようと、 タタラ場の人間たちとせめぎあっているし、唯一敵として、憎めそうな 存在であるジコ坊にしたって、結局は誰かの使いまわしでしかない。
タタラ場や、もののけ、どれか一方の立場に立てば、もう一方を憎む 事はできるけれど、この作品ではそういう立場はとらず、ただひたすら もののけと人間、そしてタタラ場と侍の対立を描いているのだ。
すなわちそれぞれの立場にそれぞれの正義があり、 それがせめぎあっている事が観客に単純な感情移入と、そして カタルシスに浸ることを拒んでいるのかもしれない。
この作品では宮崎作品としてはめずらしく?人の手が切れたり首が 飛んだりもするわけだけど、そうした過剰さも含めてこの作品では 人間の、というか生き物の業の深さを描いていると思うのだ。
宮崎駿がもののけ姫の制作中、亡くなる直前の司馬遼太郎と 対談した内容にこんな文章がある。
平安時代のアニメーションも作ろうとしたことがあるんです。舞台は 築地塀の中にある貴族の館で、外で疫病がはやったり飢饉が起きても、 築地塀の中は平和。ところがある日、築地塀が壊れてしまうという話 でした。
しかし地震が起きたり、オウムが出現したりで、現実に築地塀に 亀裂が入りました。いざ壊れると、どうしていいかわからない ものですね。以前に司馬さんは「人間というのもは度し難いもの ですね」とおっしゃっていました。そのとおりだと思って気を引き 締めていたつもりなんですが、ときどきふっと気が緩む。 そして事件にであってあたふたする。しかし備えようもないですね。 宮崎駿『出発点1979−1996』 徳間書店
ここでいう、築地塀とは、「もののけ姫」が制作された時期を 考えれば、まさしくオウムであり、阪神の大震災であろうと思う。 でも彼にとっての一番の築地塀の崩壊とは、「ユーゴスラビア内戦」 であったのかもしれない。
今まで同じ国民として暮らしていた人々が、殺し合いを繰り広げて しまう世界。 人がどんな英知を絞っても、人の憎しみや呪いを無くす事は できない世界。 人間は生きていく限り、業を背負って生きていかなければなら ないからこそ「度し難い」のかもしれない。
そして例えば阪神大震災が起きて、築地塀が壊れたとしても そこで何かがリセットされるわけではない。 マンションが壊れたとしても、人はそこで生きていかなければ ならない。
この作品の中の、築地塀の崩壊、は「シシ神殺し」だろう。 最後、シシ神の「荒ぶる神」は首を返すことでおさまるが、 果たしてシシ神の森にシシ神が復活したかどうかはわからない。
でも、たとえシシ神がいなくなり、タタラ場は繁みに覆われたと しても、人は、そしてもののけ達はそこで生きていく。
物語の中盤、モロがアシタカにお前にサンが癒せるのか、と言い放つ。 物語の最後、アシタカはサンを運命を引き受ける事で、彼女を癒す 覚悟を決めたような気がするのだ。
だからこそ、アシタカはタタラ場から去らず、そこで生きていく。 なぜなら、人は人との関わりを捨てては生きてはいけない存在だから。
この作品は、余計な解釈などいらない、ただもう、生きろ、という 映画のコピーに向かって疾走していく映画なのだと思う。
コダマも、シシ神も、そして主人公たちも含めて全てはその事を 伝えるための舞台装置でしかない。
ただしこの「生きろ」という言葉は生半可な意味ではなく、 これだけの覚悟をしてでも、生きなさい、という宮崎駿の 強烈なメッセージだったような気がする。 別の言い方をすれば、それはどんなに絶望的な状況であろうとも、 今を肯定していこうというメッセージなのかもしれない。
公開当初、この作品で引退をするといっていた宮崎駿のアナウンスが 余計そう思わせるのかもしれないが。
売れるための作品と、個人的に伝えたいことがある作品と、 世の中には二種類の作品があると思う。 個人的に伝えたいメッセージが、そのまま売れる作品であったなら、 そのクリエイターは幸せであると思う。
でも、もしもそれが違ってしまったら。 売れる話の流れを捨てて、自分が伝えたいことにこだわった結果、 売れることなく、そのまま消えていったクリエイターは、数多くいる と思う。
鴻上尚史がよくいう言葉に、 今の観客には、分かりやすい作品を求める祈りのようなものを感じる、 という言葉がある。 こういう時代だからこそ、人はせめて作品には、分かりやすさを求めて いるんだと。
でももしそうだとしても、そんな時代に一見わかりにくい作品をぶつけ そしてそれを大ヒットさせてしまったエネルギーはすごいと思う。
この作品が、見る人全てに受けるかどうかはわからない。 でも、その伝えたかった事も含めて、とても勇気に満ちた作品だと 今の私は思うのだ。
最後に、宮崎駿のこんな言葉を引用して締めにしたいと思う。
「もう『もののけ姫』では、ストーリーはどうでもいいっていう気分 になってますね、感じでわかるだろうって。ストーリーができたから って映画なんて全然できないんだって(笑)」
―だからこそストーリーもちゃんと作られていきますよね。
「というよりも、まあハリウッドでも散々言われていることですけど、 うんとシンプルでストロングなストーリーで端的明瞭っていうのが 映画では一番いいんだっていうのは、ほんとそのとおりだと思うんです よ。でも、そのとおりなんだけど、それだけでやってしまうと、この 現代の世界は取りこぼしてしまうんですよね。
だから、今というのは、シンプルでストロングなストーリーをどう やって実現するのかっていうのが、ものすごく問われているんだと 思うんです。それは、今の複雑さをシンプルにしようってことでは ないんだと思うんですよ。
僕は人間の持ってる根源的なものをシンプルに強く訴えるっていうのは 非常に意味のあることだと思っていて、僕らが衰弱してるせいで、そこ までなんかこう突き抜けることができなかっただけなんだと思うんです。 だから、『もののけ姫』っていうのが複雑にならざるを得なかったのは、 やっぱり自分たちがそこまで到達できてなかったってことだと思います。 (略)
おそらく次は2004年の夏です。たぶん2004年の夏っていうのは、 今の混迷した世の中がもっと混迷してるはずですから、そのときに 『これが私たちの答えです』っていうふうにね、もっとすっきりした シンプルな形で作品を作ることができるかどうか問われているんだと 思います。」 宮崎駿 『風の帰る場所』 インタビュアー:渋谷陽一
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