パラダイムチェンジ

2003年02月17日(月) ぶらりケータイの旅

昼間、仕事の関係で早めの昼ごはんをオシャレに池袋のカフェなんぞ
という場所で食べて、仕事場に帰ってきたら、携帯を忘れてきたこと
に気がついた。

ありゃりゃと思いつつも、まずは目の前の仕事を済ませて、もう一度
件のカフェに戻ってみると、携帯の忘れ物はないという。
ええっ?って事は俺の携帯は誰かが持ち去ったかどこかで
落としたって事?
と、そこで頭に血が上ってしまった。

自分の携帯は、今流行りのカメラ付きだとか折りたたみ式とか、
そういうオシャレな機種ではなく、2年位前のGショックっぽい外観の
携帯で、今となっては文字変換効率も悪いんだけど、お気に入りの
携帯だったのだ。

とりあえず、勝手に通話されちゃったらやだなあ、と悪い想像力が
働いてしまったので、そこから一番近いauショップに駆け込み、
とりあえず通話ストップしてくださいとお願いする。

でもお願いしたお姉さんの手に持っていた電話機を見て、はたと
冷静に戻る。
考えてみたら、まだ携帯の通話は生きているわけで、電話やメール
してみれば、誰かが出る可能性があるってことに気がついたわけだ。
つうかそんな簡単な事に気がつかない位、舞い上がっていた訳ですね。

とりあえずなかなか人の話を聞いてくれなかったお姉さんに、理由を
話して通話ストップするのを止めてもらい(ややこしい)、近くの
公衆電話へ。

んで、電話をしてみると、出た人はJR有楽町駅の駅員さんだったので
ビックリしてしまったのである。
自分の携帯は知らないうちに池袋から有楽町まで、旅をしていたのだ。

携帯をとりに有楽町駅まで行くあいだ、こんなことを思い出した。

昔、TVでもやっていた話だけれど、アメリカのとある田舎の家から
何の変哲もない、かえるの置物が盗まれた。
かえるの置物を盗まれた、当の家族はひどいことをする人もいるねえ、
なんて話をしていたんだと思うけど、ある日、その家族の下に
一枚の絵葉書が届く。

そこには、なぜかNYの自由の女神と共に写っているかえるの置物が
いたのだ。
そしてその後家族の下には、世界中のあちこちから、かえるの置物が
旅をした記録の絵葉書が届いたのだ。

種を明かすと、誰かが持ち去ったかえるの置物は、わらしべ長者?の
ように次から次へと旅をする人たちに受け継がれて、世界のあちこちを
旅をしてきたらしい。

自分の携帯の場合は、お店で携帯を見つけた善意の第三者の人が、
おそらくはどこかで忘れ物として預けようと思って、たまたま
その人が有楽町で降りる時に、駅員さんに渡したからだと思う。

でも、もしも自分の携帯に意思があったとしたら、その短い旅の間、
どんなことを思っていたんだろう、なんて事を想像してみたのだ。
有楽町で再会した携帯は、そんなことは何にも感じさせてはくれな
かったけれど。

でもあの時、ふと冷静に戻っていなかったら、この携帯ともう一度
再会することはなかったかもしれない、と思うとちょっと愛着が
増したような気もする。
携帯って、いつも自分のそばにあるのが当たり前の存在だから、
普通の道具に比べても、愛着ってわきやすいような気もするのだ。

自分の頭脳ではすでに覚えていない情報が詰まっているわけだし、
自分のメールなんて、他人に見られると結構恥ずかしいもののような
気がするし。

携帯電話は、今後、定期券代わりになったり、レンタルビデオが
借りれたり、自動販売機でジュースが買えたり、ついにはクレジット
カードの代わりになったりもするらしい。

でも、そうなると益々携帯って落とせない存在になるし、万が一
落とした場合は、悪用されないようにすぐに機能を止めないと
いけない存在になっていくのかもしれない。
まあ、その頃には個人情報はSDカードとかですぐにバックアップが
取れるようにもなっているんだろうけど。

でも、そのことと個人的な携帯電話への愛着っていうものの間に
挟まれる感覚って言うのが生まれてくるような気もするのだ。

でもとりあえずは、携帯だけに詰まった内容のこまめなバックアップ
から始めないとね。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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