2002年07月20日(土) |
土用の丑をめぐる与太話 |
そんなわけで、20日は土用の丑(うし)の日だった。 鰻の消費量が1年で一番多い日。 小さい頃は、てっきり、土曜の牛の日だと思いこんで、 なんで牛の日に鰻を食べるのか、疑問に思ったもんである。 今年はまさしく、土曜の丑の日になった。
おそらくは、日本人のほとんどがこの日に鰻を食べたと思うが、 残念ながら鰻を食べることが出来ず、くやしい?思いをした人も 多いかもしれない。 かくいう自分もそうだったりする。
だが、土用の丑の日、実は今年は2回あるのを知っていた だろうか?
これは、googleなどの検索エンジンで「土用」「丑」を 入力してみると意外なことがわかったりして面白い。
さて、そもそも、「土用」とはなんなのか。 これを紐解くには、はるか古代中国にまで、さかのぼる 必要がある。 古代の中国では、木・火・土・金・水の5種類の物質によって 世界が支配されていると考えていた。
そして、この世の様々な事柄を5種類の物質、すなわちフィフス・ エレメントに当てはめて物事を考えていたのである。 この思想を「五行」という。
などと書くと、まるで神話の時代の、「剣と魔法の時代」の話 のように聞こえるかもしれない。 が、実はこの思想は、現代でも生きている。
例えば、東西南北でいえば、東が木、南が火、西が金、北が水。 そして、中央が土。 この思想と、十干十二支の方角を組み合わせたものが風水であり、
医療に取り入れたものが、漢方や鍼灸などの東洋医学である。 つまり、土用の丑の日と、私の本職、はりきゅうとは実は浅からぬ 縁があったりする。 五行と、東洋医学との関係も実はとても面白いのであるが、 これはまた、別の機会にでも。
そして、この五行の思想を四季に当てはめると、木が春、火が夏 金が秋、水が冬となるが、何かが足りなくなってしまう。 そう、土が抜け落ちてしまうのだ。
そこで、各季節の終わりの18日間を、土の季節に振り分けた。 すなわち、これが「土用」。 だから、土用は夏だけにかぎらず、各季節に存在している。 夏の土用が終わると、立秋となり、暦の上では秋となる。
今年の立秋は8月8日。普通の感覚であれば、まだまだ暑い盛りで あるから、これもまた、七夕と同じ「旧暦マジック」が働いている ような気もするが、現在では、日の入りが東経何度を越えた時期、 という形で決められているらしい。
ただし、東洋医学の五行論では、土に相当する季節は、長夏といい、 夏の真ん中の暑い盛りを指している、とされている。
そして「土用」の「丑」の日が2つある謎。 それは、あの「商売繁盛笹もってこい」の11月の酉の市のお祭りが 年によって、2回だったり、3回だったりするのと同じ事である。
つまり、11月に十二支の「酉」のつく日が2回あれば 「二の酉」、3回あれば、「三の酉」がひらかれるように、 「土用」と呼ばれる時期に、丑の日が、2回あれば、土用の 丑の日は、2回来る。
今年は7月20日と、12日後の8月2日が「土用の丑の日」。 丑の日には、鰻にかぎらず、黒いものを食べる習慣があり、 鰻が栄養豊富な為、江戸時代から鰻が食べられるようになった。 一説には、平賀源内が流行らせたらしい。
これは余談だが、江戸時代の鰻は決して高級料理では なかったという。 池波正太郎の小説、剣客商売シリーズ(新潮文庫)によれば、
【鰻というものは、この当時の、すこし前まで、これを丸焼きに して豆油やら、山椒味噌やらをつけ、はげしい労働をする人びとの 口をよろこばせはしても、これが一つの料理として、上流・中流の 口へと入るものではなかったという。 それが、上方からつたわった調理法で、鰻を腹から開いて、 食べよいように切り、これを焼くという…そうなってから、 「おもったよりも、うまいし、それに精がつくようだ」 と、江戸でも、これを食べる人びとが増えたそうな。
この後、約二十年ほどを経て、江戸ふうの鰻料理が開発され、 背びらきにしたのを蒸しあげて強い脂をぬき、やわらかく焼き上げ たれにも工夫が凝らされるようになり、ここに鰻料理の大流行となる】 「悪い虫」(辻斬り)より
この文章にかぎらず、食ということにこだわった、池波正太郎氏 には、ほんとうに頭が下がる思いである。 おそらく、平賀源内の時代はまだ、鰻の丸焼きの時代だったろう。
最後の付け足し。 土用の丑の日に、お灸をする習慣も昔にはあったらしい。 これは、ほうろく灸といって、素焼きのお皿を頭のてっぺんに 載せてその上でお灸を燃やす習慣で、お寺などで今でも 見られる習慣である。
一応プロとして解説をすると、頭のてっぺんには、百会 (ひゃくえ)という、全てのツボの大元締めのようなツボがあり、 万病に効く、とされている。 なぜか痔の名穴、と言われるが、循環系の疾患、耳、鼻、目の疾患 にもよく効くと言われている。
とは言っても、夏の盛りにお灸をするっていうのは、一種の修行と いうか、当時のガマン比べ大会の要素も含まれていたのかもしれない。
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