パラダイムチェンジ

2002年06月25日(火) 世界と対話すること

W杯で日本が敗戦してからというもの、やっぱりどこか魂が抜けて
しまったような錯覚を感じる今日この頃。
街もいつもと変わらない風景であるとはいえ、なんかさびしい
雰囲気が漂っているような気になるのは気のせいだろうか。

W杯もすすんで、多くの国々が敗退して、街で当たり前のように
見かけた外国人の姿も、あまり見かけなくなった。

陽気に騒いでいたイングランド人サポーターも、アイルランド人
サポーターも今はもういない。
彼らを見ていて思ったのは、彼らは本当にサッカーが好きであり、
私たちが思う以上に、大人の態度で接してくれた、ということだ。

日本戦を応援しているとき、自国と同様に日本代表を
応援してくれた外国人たち。同様に、外国勢同士の試合でも、
応援をした日本人たち。

今回のW杯は、果たして日本にとっては成功と言えたんだろうか?
個人的には間違いなく、成功だったんじゃないかな、と思う。

未だかつて、日本各地でこれだけ大規模に、世界の人々と直接
触れ合う機会はなかっただろうと思うから。
あの、フーリガン騒動も、昔黒船が来たときの赤鬼騒動と変わら
なかったと思えば、それもまた、ほほえましいような気もする。

今回日本に来てくれた外国人が、また日本を訪れてくれるか
どうかはわからないが、彼らの記憶のなかに、少しでも
楽しかった記憶としてとどまってくれると、
やっぱり日本に住む者としてうれしいと思う。


決勝トーナメントを見ていて思うのは、本当に1点の重み
というのはすごいものなんだな、とあらためて思う。
たかが1点であるにせよ、先制したチームはその瞬間、
圧倒的に有利になる。そのたかが1点を返すためには、
先制されたチームは、今までの数倍、相手を圧倒しなければ、
取り返すことはできない。
これは、本当に相手を切り倒さねば勝ち残れない、
真剣同士の勝負、といえるかもしれない。

そして日本は、W杯の決勝トーナメントに進出してはじめて、
1点を失うことの怖さを骨身に感じたのかもしれない。

日本は、経験が足りなかった、とよく言われる。
確かに、日本に相手を切り倒すまでの覚悟があったか、と言えば、
そこら辺に甘さが残ったような気もする。
だが、真剣のやりとりを知らないものに、そのすさまじさを
いくら口で説いたとしても、理解はされなかっただろう。

たたかいを経験してはじめて知ることは決して恥ではない。
もしも、今回決勝トーナメント進出できなかったら、その体感
する機会は、未来永劫、訪れなかったかもしれないのだ。

日本代表について、あれから様々な人々が様々な意見を述べるのを
聞いてきた。
一番、わかりやすく、かつつまらなかったのは、釜本世代の
代表選手の言葉だった。
「日本代表には、ハングリー精神が欠けていた」

これは、正論なのかもしれない。メキシコ五輪で3位という
輝かしい成績をおさめた当時に比べて、今の日本代表には、
ハングリー精神が足りなかったのかもしれないが、
それを指摘することは何の解決にもつながらない。
せいぜい発言した人間の溜飲が下がるだけだろう。

では、どうすれば、彼らのモチベーションを高めていけるのか?

個人的な、無責任な意見を言えば、今後も世界と関わり続ける事
だと思う。この4年間ほど、選手たちにとっては世界を意識し
続けた期間はなかっただろう。
世界を知り、そして断続的に闘い続ける事によってのみ、
彼らにとって必要な経験とモチベーションを保っていけるんじゃ
ないだろうか?
これは、A代表に限らず、ヤング世代にも言えることだとは思うが。

そして、それは、私たちも同様なのかもしれない。
今、日本というくくりでいる限り、閉塞感を感じるのは仕方がない
事なのかも。
青年よ、世界を目指せ、なんてことは言わないが、日本人の目が、
もう少し世界へと向けられ、彼らと対話が出来るようになれば。

その可能性を今回は感じられたような気がする。

「サッカーは、その国の実情を反映する」
前日本代表岡田監督の言葉である。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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