2008年12月26日(金) |
081226_エコノミック・アニマルは褒め言葉だった |
「『エコノミック・アニマルは』ほめ言葉だった」(多賀敏行著 新潮新書)を読みました。副題は「誤解と誤訳の近現代史」とあります。
日本人は外国コンプレックスがあるのと自意識過剰、おまけにマスコミは悲観主義の傾向がある、といった組み合わせから、海外でのさまざまな発言や意見に対して、つい「馬鹿にされた」とか「批判された」と思いがちです。
その代表例として著者は「エコノミック・アニマル」と「うさぎ小屋」を挙げています。
まず「エコノミック・アニマル」です。この言葉は「あっと驚くタメゴロー」などとともに、1969年度の流行語に選ばれた言葉。現代の日本の辞書類で調べても、「経済的利益ばかりを追い求める動物。国際社会における日本人の行動を批判的に形容した語」(学研国語大辞典 1980年)だとか、「経済大国にのし上がった日本人への蔑称」(現代用語の基礎知識2004年版)などとされているよう。
著者はこの言葉の原典を調べてゆくうちに、どうやら1965年6月28日付の日経新聞夕刊に掲載されていた当時のブット・パキスタン外相の発言であろうということにたどりつきました。
しかし著者が周りの英語をネイティブにする多くの人たちに訊いても「エコノミック・アニマル」に侮蔑的な意味はない、というのだそう。逆にウィンストン・チャーチルが"politics animal"と呼ばれたことを引き合いにして、経済に関してはずば抜けた才能を持つ国だ、と意味だと解釈に至りました。
なにしろ当時のブット外相はオックスフォード大学を卒業してその後同大学で教鞭をとったこともあるなど、完璧なイギリス英語を話す人だったからです。
そのインタビューの時の雰囲気を知りたいと、著者はこの記事を書いた記者を探り当てて訪ねようとしたのですが、すでに鬼籍に入られていたとのこと。
その侮蔑的ニュアンスを完膚無きまでに払拭するには至らなかったのですが、随分後々まで日本人自らが自虐的に使うようになっている現実はなかなか変わりません。
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そしもう一つ、日本人の生活を否定的に表現しているのが「ウサギ小屋」という言葉です。
これは日本人の住居の狭さを表す言葉としてすっかり定着した感がありますが、この言葉が登場したのは1979年のEC(欧州共同体)の報告書の中でした。
ここに、「日本人はウサギ小屋のような住居に住んでいる」という趣旨のことが書かれていることが分かり、日本で報道されるにいたって物議を醸したという事件でした。
朝日新聞はこの年の4月1日の紙面で「日本はウサギ小屋に住む働き気違いの国 EC秘密文書で決めつける」というタイトルの記事を掲載しています。
では原文は一体どうなっているのでしょうか。著者はジャパン・タイムスに掲載されたテキストの中から「ウサギ小屋」が出てくる箇所とその前後を訳してみました。すると
「…1955年において、日本の輸出は米国の6%ほどであった。ところが、1976年には米国の三分の一まで上昇した。そしてこの急速な拡張はしゅとしてごく最近封建的過去から脱出してきた過密な且つ高い競争心を有する島国の人々の精力的な労働、規律、会社に対する忠誠心そして経営能力によって担われたものである。」
「日本は、西欧人から見るとウサギ小屋(rabbit hutches)とあまり変わらないような家に住む労働中毒者(workaholics)の国であり、そこでは、管理職幹部は、会社が自分の努力を必要としていると思うがゆえに自分の家庭をあきらめるし、ストライキを始めた労働者たちは、『日本のイメージ』を傷つけていると言われればストライキを注視するのである…(中略)…」
「…かかる国からの競争に直面することは、平等主義、社会的慈悲、環境保護主義、国家の干渉及び一生懸命働いて金を稼ぐことは反社会的だとの考えの広まりによってプロテスタントの労働の倫理が根本のところで大きく浸食されている欧州にとっては、容易ではない。」とありました。
筆者は、この文章を一読して、欧州への現状への慨嘆こそあれ、日本への口を極めた侮蔑とは思えないように読み取りました。また、英語としてみたときに余り出来の良くない文章のように思えたことが気になった、とも。
するとこの文章のオリジナルはフランス語であったことが分かりました。そのうえで「ウサギ小屋」の"rabbit hutches"が原文ではどうなっているかというと、"cage á lapins"といっているのですが、これをフランス語の辞書で調べてみると慣用句として「画一的なせまいアパルトマンの多くからなる建物」という意味があったのでした。
つまり部屋の上に部屋を重ねて行くような都市型集合住宅のことを「ウサギ小屋」と呼んでいたのです。そしてそれは別段褒め言葉ではないにせよ、侮蔑の意味もなさそうです。
後に日本人新聞記者はECの対外総事務局長の弁明も載せていますが、事務局長も一体何に日本人は怒っているのかが分からないままの弁明であったのかも知れません。
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どうやらこうした誤解が生じるのは、日本人の中に常に欧米に対する劣等感があって、批判的な意見を言われることに対する恐怖感があるような気がします。 同時に、意見に対してこちらからの意見を述べるという議論が出来ず、議論=ケンカという風にみなす風潮も影響しているのかも知れません。
内外からの批判に対して議論を通じて双方の妥協点や意見のすりあわせを行うという基本的な討論の姿をまだまだ日本人は持ち得ていないようです。同時に、伝聞に対して丹念に原典に当たるという基本的な形も出来ていないよう。
マスコミの言うことを鵜呑みにする時代からの脱却はいつできるのでしょうか。 {/hiyo_oro/}
さて、今日で今年の仕事納めも終わりました。明日の午前中の便で北海道へと帰ります。札幌は大雪だそうで、私の雪かきの割り当ては残されているそうです。 やれやれ。
飛行機飛ぶかなー
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