2008年10月29日(水) |
081029_坂本龍馬と太鼓持ち |
シンクタンクをしている仲の良いAさんと意見交換の機会がありました。
彼は今大きな国の調査のプロジェクトマネージャーをしていて、委員会の委員の人選や工程管理、内容の進行などをコントロールするのに奔走しているのです。
今手がけているのは、低炭素社会の実現に向けたテーマや防災まちづくりなどだそうで、防災はともかく低炭素社会となると、聞いていてもなんだか頭が痛くなりそうです。
「委員の人選といっても大変なんでしょうね」と私。 「お互いに好き嫌いがあったり、自薦他薦もありますからね。なにしろ発注者から『その構成で良いです』と言って頂かなくては行けませんからねえ」
「委員会を上手に運営して結果を出すコツってなんですかね」 「僕は自分自身を『太鼓持ち』だと思っているんですよ。おだてるというと語弊がありますけれど、先生たちの間を取り持って、お互いに良い気分になってもらって、良い意見を出してもらうということです」
「なるほど、それでいて自分はあまり前面には出ない…と」 「もちろんそうです。前面に出るのは委員の先生たちですからね。でも委員会などに限らず、人と人の間を取り持つというのは結構苦労するんですが、太鼓持ちの精神でいるとこれが案外うまく行くんですよ」
「太鼓持ちというと、なんだかお世辞やおべんちゃらを言って人を良い気分にさせてしまうという、ちょっとネガティブなイメージがありますけどねえ」 「そういう商売もありましたからね。でも日本人は一対一の勝負が好きで、二人の意見が合わなくてお互いに話がこじれたりすると、二人だけでは解決出来なくなります。だからそこにそれを取り持つ第三者が必要で、そこに力量があれば、暗礁に乗り上げた問題もお互いの顔を立てながら解決出来るという余地が生まれるんですよ。幕末の土佐に坂本龍馬が出たでしょう?」
「ええ、知っていますよ」 「僕なんか、坂本龍馬こそ天才的な太鼓持ちだったんじゃないかと思うんですよ」
「龍馬が太鼓持ち?」 「そう。だってあれだけ仲の悪かった薩摩と長州の間に入って連合を成し遂げて幕府を倒す原動力になったんですよ。お世辞やおべんちゃらを言ったかどうかは別として、こういう第三者こそ理想の太鼓持ちだと僕は思うんですよ」
龍馬が太鼓持ちとはまた大胆な表現です。しかし確かに、交渉がこじれたときにはお互いに誰かに救いや仲裁を求めて、互いのメンツを守りながら解決に導いて欲しいと心の中では思っているものです。
意地の張り合いをいかになだめて結果として解決に結びつけるかという交渉には大きな力量が必要。お世辞ではなく、誠意による太鼓持ちというのもあるのかもしれません。
うーん、いろんな考え方があるもんぜよ!
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