| 2008年08月03日(日) |
080803_石見銀山を歩く |
松江のホテルを出発して車は一路西へと向かいます。今日は昨年世界遺産に指定された石見銀山の見学です。
松江から石見銀山までは直線距離でも約60kmあって結構時間がかかりそう。現地の石見銀山ツアーでは地元にボランティア観光ガイドグループがあるので、そちらにガイドをお願いしたのですが、『現地に10時50分に集合してください』とのこと。少し早めにホテルを出て、余裕を持ったドライブで現地に向かいます。
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石見銀山は市町村で言うと島根県大田(おおだ)市に属しますが、銀を掘った採掘場は市内から離れた山の奥の谷筋にあります。そしてここのごく狭い範囲に大森地区と呼ばれる建物が集中している地区と、間歩(まぶ)と呼ばれる坑道が数多く見られる谷あいとがセットになっているのです。
大森地区は今でも人が住んでいる集落ですが、ここへの公共交通網はきわめて弱いので車か観光バスで行くしかありません。しかし現地周辺は大きな駐車場が取れるような地形ではないので、少し離れたところに駐車場を兼ねて世界遺産センターという観光拠点施設を建設している真っ最中です。 我々もこの世界遺産センターに車を停めて、ここから地区内を通るバスに乗り換えて集合場所へと向かうつもりです。
さて、余裕を持って出発して少し早めに現地に到着したので、世界遺産センターを見て回りました。ここは無料の施設で、今は「ガイダンス棟」だけが出来上がっていて利用ができます。 ここでの見物は石見銀山遺跡の間歩や街道、港、山城跡、歴史的町並みなど、この遺跡の特徴や全体像、世界遺産としての価値などが理解できるような展示などで、全体が完成するともっと充実することでしょう。

また石見銀山周辺は、観光情報を平面図で理解するのにはちょっと骨が折れました。
そんなときこそ、まずここのようなガイドセンターへ来て、周辺の山々や集落との関係を立体模型を見ながら説明を受けると分かりやすいことでしょう。事前に情報を得ておくと現場を歩いてもちょっとしたものの見方が変わるというものです。

また紙媒体で伝えきれないような情報は映像展示がお勧め。薄型モニターには、銀の鉱石から銀の鉛合金をつくり、そこから灰吹法と呼ばれる方法で見る見るうちに純度の高い銀の粒ができてゆくシーンを放映していました。 こういう説明は映像が一番です。
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石見銀山ガイドはMさんという方が、我々家族を含めて8名の参加者をガイドしてくれることになりました。まずは地区内の乗り合いバスで行けるところまで行って、そこから先は徒歩で小経を歩きながら説明を聞くのです。
小川に沿った谷筋の道沿いにはいたるところで坑道が見られます。ここでは坑道のことを間歩(まぶ)と呼んでいて、現在まで約600の間歩が確認されているそうです。

間歩も最初は地表に銀の鉱床が露出している露頭を掘っていましたが、次第に鉱床に沿って下へと掘り進むようになります。
しかし上下がある掘り方は水が出ると坑道が水没して効率が悪くなるので、次第に水平に坑道を掘って水を処理しながら左右に出てきた鉱床に沿って鉱石を掘る方法が開発されました。石見銀山で唯一入れる間歩の龍源寺間歩もそんな横への坑道です。途中で鉱床に当たって掘り進んだ跡が何箇所もあって、往時が偲ばれます。
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間歩の中で唯一公開されているのが龍源寺間歩。水平の坑道は大人が楽々と立って歩けるほどの高さで、これをノミと槌で切り開いたのかと思うと気が遠くなりそうです。

「今歩いている間歩は当たり前に電気の明かりがついていますが、当時は電気はありません。だからここらあたりではサザエの貝殻に油をいれて灯心をにほのかな明かりを灯して暗がりで作業をしたんです」
「当然空気は悪いし、岩の粉も吸ってしまうわけで、厚遇を求めて山堀たちが集まってきたとはいえ、肺の病になるものも多く、30歳の誕生日を迎えた者は長寿の祝いをした、と伝えられています」
決して犯罪者を奴隷のようにこきつかったり、強制労働による収奪をしたわけではなかったのですが、やはり過酷な労働であったろう事は想像がつきます。
ここでの一槌一槌が日本の歴史を作ったという歴史と先人の苦労に思いを馳せるひとときでした。
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