掛川奮闘記

2005年07月24日(日) 050724_地震の備えはできてますか?

 天気は良し。少し家の中を片づけようと思ったが、なかなか作業がはかどらない。まったく。

 今日は、
■日本は地震大国 の1本です。

【日本は地震大国】
 関東地方で震度5という比較的大きな地震があってびっくり。知人の多い掛川にメールで「大丈夫ですか?」と打ってみたところ、「全然気づきませんでした」という返事が返ってきたくらいなので、たいしたことはないのだろう。まずは良かった。

 私が掛川で助役をしていた三年間で一番恐ろしかったのが「今来てもおかしくない」と言われた東海大地震である。

 これは昭和51年に発表されたもので、マントルの上に置かれたプレートがマントルの対流に伴って沈降と乗り上げる部分でひずみを解消するときに大地震になると言う説である。

 過去の文献を調べてみると日本列島の太平洋側を伊豆半島から遠くは四国までの広い範囲でほぼ定期的に大地震が発生している事が分かっている。

 伊豆半島以西の太平洋側は大体三つのブロックで考えられている。それは、東の伊豆半島から浜松市あたりまでの東海地震ブロック、浜松から紀伊半島串本町くらいまでの盗難開示心ブロック、そして紀伊半島の半分から西側の南海地震ブロックの三つで、これらがある時はほぼ同時に、あるときはブロック単位で大きな地震を繰り返しているのである。

 このあたりで歴史上有名な大地震が安政の大地震で、これのおかげで掛川城も石垣が崩れて天守閣もなくなってしまったのだが、このときの被害状況を表す図面が幕府に提出されていたおかげで天守閣の存在が証明され、復元のための大変有効な資料になったというのは皮肉な話である。

 さてこの安政の大地震は、上記の三つのブロックがほぼ同時に動いてエネルギーを放出した大地震だったのだが、その次はと見てみると南海地震は昭和21年にM8級の地震を起こしている。

 またまだ大東亜戦争真っ盛りの昭和19年12月には東南海区域でM7.9の地震が発生しているのだが、その後の調査でこのときのエネルギー解放は東南海区域にとどまっていて、掛川を含む東海ブロックは安政の大地震以来150年以上もエネルギーを解放せずため込む一方で推移しているのである。

 このあたりの地震は約100年ごとに発生していて、最近で一番離れたときで1707年から1854年までの147年が最長という事になっていて、今や東海地震の区域はこれまでの最長記録を日々伸ばしている状況なのである。

 このことが世に知られるようになった昭和53年(1978)に政府は大規模地震対策特別措置法を施行し、静岡県等を地震防災対策強化地域に指定し、観測の強化や監視の充実を行うとともに、判定組織を作る事にしたのである。 

 とは言いながら、その後そのような準備をしていない日本各地で断層型の大地震が数多く発生して、突然来る大災害の恐ろしさをまざまざと見せつけているのだが、こういった断層型地震と違って、東海地震だけは事前に発生の予測ができるのではないかと言われているのである。

 その可能性を支える観測事実が実は掛川にある。

 それは、昭和19年(1944)12月7日13時35分に発生した東南海地震の前日の午
後と当日の午前に、掛川からその北西の三倉への水準路線の一部が軍部によって偶然往復で測定されており、このときに水準測量が合わなかったという事実が記録されているのである。

 このときの往路と復路の差からは、700mで約4mmの海側が隆起する地殻変動を生じたと推定されている。

 つまり東海地震のようなプレート型の地震であれば急激に歪みを解消する大地震の前に予兆減少として沈み込んだプレートがゆっくりと跳ね上がる現象が見られるのではないかと考えられているのである。

 たったいちどの観測結果に一縷の望みを掛けているような状況なのだが、事前に予知出来るのなら十分に研究する値はあると言えるだろう。

 しかし何分、十分な観測網ができあがってからはまだ一度も大きな地震が起きていないので、地震学者もその予想を確かめられずにいるのである。

 我々とすれば、予想ができるかも知れない東海地震の行方を見守るよりは、この瞬間にも起きるかも知れない断層型の地震に備えて、三日間だけは救援なしで生きられるだけの水や食料を用意して防災意識を持ち続けたいものだ。

 防災は自助、共助、公助の順なのであって、まずは自分や家族の命は自分たちで守る強い気持ちが大事なのだ。

 災害は忘れた頃にやってくるのである。


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こままさ