| 2004年12月23日(木) |
041223_年賀状の一言 |
さて、いよいよ年賀状作成も佳境です。今日でかなりのところをこなしてしまわなくてはね。
さて今日は、 ■村下俣の餅つき会 ■龍尾神社の梅林 ■年賀状の意味 の3本です。
【村下俣の餅つき会】 今日は天皇誕生日なのでそこはかとなく、氏神さんは利神神社へお参りに行く。
そのついでに、下俣の区長さんから「23日は恒例の餅つきをやるでね。どうぞ来てください」と言われていたのを思い出した。
会場の公会堂は利神神社の近くなのでちょっとだけ立ち寄ることにしたのだが、現地では「やあ、来た来たヾ(^▽^*」ともう歓迎ムード。
「助役さん、ついてもらう分は取っておいたでね」と半人工の労働力として期待されているのである。
さっそく蒸かした餅米が持ち込まれて、一臼つくことに。最初からつく前に、「小突く」という作業が大事だったはずだ、ということを思い出して、縁のほうからぎゅっぎゅっと粒の米をつぶし始めてみた。
「お、去年より上手になってる」(お、覚えてるんかい(^-^;)) 「腰つきがまだ不安定だなあ」と冷やかされて笑う。
ようやくつける段になって、ぺったんぺったんとつくが、小突くのを一生懸命にやればやるほど、握力が無くなって、つくときの杵が安定しない。
「どれ、貸してみな、足はこうでさ、杵を持ち上げるのはこうやってさ…」ともう杵を奪うとそのまま最後までついちゃうのである。
要は集まっている人たちはみんななんだかんだ言って、餅をつきたいんだな、と理解した。
※ ※ ※ ※
やがて市長も到着して、つきたての餅を一緒にご馳走になる。大根おろしが辛かったが、うまい!
朝飯代わりのおろし餅だったが、あんまり美味しいので、昼飯と夜飯の分も食いだめを決め込んだ。う〜、お腹一杯だ〜。
「助役さん、もう一年やったらかなり上手になるね」 うはー、来年も来るとしますかあ(^-^;)。
【龍尾神社の梅林】 お餅を食べた後は、本を返すついでにお参りをしに龍尾神社へ向かう。
禰宜さんがおられたので、今年一年お世話になったお礼を述べる。「宮司さんはどちらですか?」と尋ねると、「梅林のほうで作業をしていますよ」とのこと。
ご挨拶に伺ってみると梅林に宮司さんがおられたので、こちらでもご挨拶。
「助役さん、今年はこのしだれ梅を見に、3万人は来るよ」と宮司さん。 「年が明ければ、山内一豊縁の龍尾神社としだれ梅の梅林で人気が出るのではないですか」
「そろそろ観光会社も目をつけてくれるようになりましたからね」 「いつからこの梅林づくりを始められたんですか」
「これは僕が48歳の時で、いまから12年前ですよ。60歳までに形をつけたいと思っていたけど、やっと見られるようになりましたよ」と満足げだ。
なにか一つのことを初めて成果が出るまでには干支が一回りしなくては駄目なようだ。
私自身、そろそろライフワークを始める年回りかも知れないなあ。
【年賀状の意味】 今年の年賀状は約390枚になった。今年のうちは掛川在住の方にはほとんどお出ししないので、その程度だが、来年は掛川分がどっと増えそうで怖いなあ。
それにしても、掛川へ来てから掛川以外の方とも相当知り合いになったので、年賀状がどっと増えた。
掛川へ赴任した当初に消費者協会から依頼された文章の中で、「名刺を2千枚集めたいと思います」と宣言して人に会い続けてきたのだが、そうやって溜まった名刺はもう3千枚近くになろうとしている。
しかもこれらの名刺には、営業で配られるものは含まれておらずに、純粋に相手の目を見てお話しをした方だけのものだし、市民の皆さんの多くからは名刺をいただかずに普段の会話をしているのだから、もっと多くの人と会ったことになる。
我ながらたいしたものだ。「なだれ込む」姿勢の賜物ですかな。
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さて、私の場合年賀状は、年賀状作成ソフトの「筆まめ」を使って全てパソコンで作っている。
裏面を約400枚印刷してから宛名を印刷するのだが、この宛名リストの修正と整備が一番の難物で、これが終われば作業のおおきな山場は越えたようなものだ。
私の場合はそうして印刷の文章ばかりが並ぶので、必ず一言の添え書きをすることにしている。
送る相手の名前を見て、その人の顔を思い浮かべながら2、3行の文章を書き添えるのである。
年賀状は、年に一度の友人、知人、親戚との「関係性のお手入れ」だと思うのである。
所有物でも知人関係でも、家でも車でも、自分のものというからには手入れをしなくては良好な関係は保たれない。
服の手入れは選択だし、家の手入れは掃除だし、包丁は研がないと行けないし。樽のタガはゆるむものだが直せばよいのである。
人間関係も同じで、夫婦と言えども書類に判を押せば夫婦になれるがその関係は会話や電話や手紙、たまのデートなどで常に崩れそうになるのを防がなくては行けないのだと思う。
もし、自分が手入れができないようなものを所有しているとすれば、それは自分の分際を越えて「持ちすぎ」なのではなかろうか。
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私は年賀状はそういった自分との他者との関係性を一年に一度メンテナンスする絶好の機会なのだ、と思っているが、自分の分際にあった人間関係の範囲はせいぜい年賀状を出す、出せる範囲なのではないか、とも思うのである。
そしてさらに言えば、相手の顔が浮かんで一言の近況を添えられる範囲がさらに自分にとっての妥当な人間関係なのだ。
年賀状を送っても、機械のフォントによる文字が並んでいるだけでは心が伝わらないだろう。
「一言を添えられない相手だったらもう自分にとってもそれほど関心はないのじゃないかな」と思うので、結構時間が掛かるのだが、いつも宛名印刷が終わってから必死に一言を添えているのだ。
一年に一度、たった60秒だけでもその人のことを考えている時間がある。 ※ ※ ※ ※
明日の24日はクリスマスイブなのですが、まちなかの光のカフェでは飛び入り歓迎のミニクリスマスパーティをしています。
ご参加できる方はどうぞ…と言ってもご家族のいる方は無理でしょうねえ。独身者歓迎なんですけど。
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