掛川奮闘記

2004年10月10日(日) 041010_神様の言うとおり〜掛川祭最終日

【神明宮例大祭】
 肴町のOさんに誘われて、神明宮の例大祭に出させて頂くことになった。肴町は神明宮の氏子の地区ではないので、案内してくれたOさんは神明宮の氏子に見つかると、「お、なにやってるんだ?こんなところで」といたずらっぽく因縁をつけられている。

 「キリスト教にイスラムが入ってきたようなもんだ」とまで言われて、「助役を案内してきたんだってば…」と言い訳すること仕切。すぐ隣の神社だというのに、氏子の壁は厚いものがある。

 氏子の数としては龍尾神社の方がずっと多くて、神明宮の方はやや少なめである。それでも大獅子の仁藤町や市内で一番古い屋台の喜町など、力のある町内が支えているお宮さんである。

 今日は朝から天気は曇りで雨が降っていないので、神事の後は各町内から芸能の奉納が行われる。中獅子や手踊りなど町内ごとにユニークな伝統が披露されて興味は尽きない。

 解散の後は各町の屋台が市内めがけて移動を開始。辻辻で各町の屋台を見るのもよい。

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 今年の年番のところへ挨拶に行くと、「まあ一杯」と升酒。別な町の会所へ行くと「まあ一杯」と次々に升酒が重なって、なかなかしんどい。

 昨日が雨で、屋台の引き回しは今日だけだが、昼になると皆昼食でちょっと静かめ。昼は休んで夕方にまた出てくることにする。

【スローライフ会合】
 夕方にスローライフNPOの面々が町中に集まるというので、夕刻に集合場所に向かう。

 夕方からまた小雨が降ってきてうっとうしい。そんななか出たり入ったりして屋台のそろい踏みを見物する。

 集合場所にも目の前を通る町衆が訪ねてきては、一杯酒を飲んで行く。祭の雰囲気はこんなもの。


【肴町の法被】
 そんな中夜になり、ついぼんやりと屋台見物をしていたら、肴町の衆にとうとうつかまってしまった。「さあさあ」と引き込まれて、肴町の屋台を引く羽目になった。

 始めは手木(てぎ)を引っ張っていたのだが、そのうちお菓子屋のキンちゃんが「助役、後ろに座るのも良いですよ」と言うので、後半は屋台の尻に座ってかけ声を掛ける役に徹した。

 屋台を雨から守るビニールの幌を支えながらだが、屋台の後ろで揺られるというのは一生の思い出だ。

 肴町の屋台は70戸の町内で6千万円かけて新調したもので、小口をはじめ至るところが銀の鈍色に輝いていて、掛川で一番高価な屋台だと言われているらしい。。

 「あれは銀?」と訊くと、「いえいえ、プラチナですよ。銀は黒くなりますからね」とのこと。老人の独居だろうがなんだろうが、戸割でお金を出し合っての新調だと言うから驚きだ。これが祭に掛ける地域の意気込みである。

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 祭の最終日の道路規制は夜9時までと決められていて、最近は警察が時間に厳しいらしい。なんでも数年前に事故があってから一団と時間厳守が厳しくなったとのこと。祭における地域の自己責任の範囲はどこまでか、と思う。

 時間が来ると屋台を屋台小屋にしまわなければならないのだが、これをしまってしまったが最後、それで祭はお仕舞いになるので参加者一同なかなか屋台小屋に入れようとせず、小屋の前で最後の気勢を上げ続ける。

 しかしそれもつかの間、ついに屋台をしまう時が訪れる。屋台小屋は屋台の幅とほとんどぎりぎりに作られているので、斜めからバックで入れるのはなかなか骨の折れる作業のようで、青年たちも四苦八苦している。

 そんな様子を、中老、大老と呼ばれる祭の大先輩たちは苦々しく見ていて、いらいらしている様子がうかがえる。

 「大体ね、昔は仕舞ってしまうまで屋台の中でお囃子を絶やさなかったもんだ。そうすると指示の声なんか聞こえないんだけど、そんな中ですっと仕舞うのが粋ってもんなんだ」とじりじりしているのが面白い。

 「ぶつかる!バックバック!」と言うのを聞いて、「祭に英語なんか使うんじゃねえ!」とヤジが飛ぶ。これも一興。

 「駄目だ。今年の役員は駄目」とおかんむりの知人に、「何が駄目なの?」と訊くと、「イシバシヤの交差点というのが一番の見せ場なのに、そこでいかに観客を楽しませるか、という精神が全く出来てない。駄目だなあ、まったく」と不満たらたら。そういうところに粋を感じているのと、そういう心が今の若い青年たちに伝わっていないのが頭に来るんだろうな。

 次第に祭から粋とか精神的なものが剥がれ落ちて、どんちゃん騒ぎの時間になってしまっている、という声があちらこちらから聞こえてくる。

 外部の私などが見ていると全く分からないのだが、地元で何年も祭をしている人たちの肌感覚がそう言わせているのだろうか。

 やはりただ観客として祭を見るのと違って、やる側の精神には奥が深いものがある。うーん、大変勉強になりました。肴町の皆さん、ありがとうございました。


【掛川の旦那衆文化】
 さらに「掛川に残る旦那文化が見られるからちょっとだけ来ませんか」と誘ってくれる人がいて、「ここまで来たら、神様のお導きだろう」と心に決めて誘われるままに、某料理店の二階に上がり込む。

 ここでは祭の余韻も楽しみつつ、三味線、鼓、太鼓、笛などによる長唄やちょいと粋なお座敷芸を楽しむ会が催されていた。

 鼓談義に花が咲くうちに、三々五々と関係者が集まってきて、どんどん賑やかになる。次第に太鼓が鳴り出し、笛と太鼓がお囃子をかき鳴らす。

 これらの旦那遊びはもともと旧東海道に面した連雀商店街の旦那衆のもので、粋な旦那が芸者を上げて座敷遊びの文化が続いていたのだ。
 
 しかし、今日ご紹介された皆さんの中には本来の連雀商店街の旦那は数えるほどしかおらず、逆に今やそういう文化を面白いと思って背負って下さる方たちにはサラリーマンが多くなったのだ、とも聞く。

 「商売よりもサラリーマンの方が安定しているからかもしれませんよ」と言う人もいるくらいである。厳しい現実だろうか。

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 それでも皆さん、愉快に遊びを続けていて、「じゃあ、今度はアレね」、「あ、アレね」というノリで、太鼓も笛も三味線も合わせて奏で始めるのだからさすがである。

 やがて全員で「おいとこ」という踊りを踊るのだが、手つきや所作が堂に入っていて、ちょいとそこらの習い事などではなく、まさに体に染みついた楽しみ、という感じがした。

 こういう世界を垣間見られただけでも幸せというものだ。神様に招かれるままについて行ったら、ここまで来たと言うことなのだろう。

 人口が多いということだけの町ではかなわない部分だなあ。


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こままさ