| 2003年12月22日(月) |
031222_歴史は誰が作るのか |
【部課長会議にて】 かつての東京営林局が、度重なる組織改編でとうとう群馬営林局東京事務所に改組されたのだそうだ。だからどうということもないが、市長としては様々な思いが去来しているようだ。
なかでも一番の思い出は、先代であるお父さんが市長をしていたときに、当時東京で学生生活を送っていた今の市長がお父さんに連れられて鞄持ちとして東京営林局を何度も訪れたことだそうだ。
その時の先代市長の悲願は、市内の国有林の一部を市に払い下げてもらうことであった。
当時の議会は反対をしたが、先代市長は当時市の予算が6500万円だった時代に、国有林を3500万円で譲り受けようと言うのだった。
これは一つの賭で、この山林の木材が高値で売れれば市財政は儲かることになるし、失敗すれば大損となる。
「これが失敗すれば、私財で返さなくちゃならん。おまえもそれを覚悟しておけ」とつぶやきながら、東京営林局の階段を上ったことを今でも覚えているという。
この大いなる賭は大成功で、3500万円で譲り受けた山は、1億2000万円で売れて、その剰余金で市内の高校の土地を取得したり、借金を払うことが出来たそうである。
「自分で親を褒めちゃいかんと思うけれど、あのときはよくぞそういう決断をしたと思うよ。今NHKで『その時歴史が動いた』という番組をやっているけれど、歴史はやはり人が作るものだ」
「戦前は英雄史観で、信長は○○をした、とか家康は××をした…、と教えられたものだ。戦後はそれが唯物史観になって、名もなき大衆が歴史を動かしたような歴史観が優勢になった。しかし最近になって、そのような番組が登場してきたと言うことは、やはり歴史はある特定の人物なり英雄なりの決断で作られるものだ、という歴史観が見直されている、ということなのかもしれない」
歴史は一人の人間の決断から生まれる。掛川の多くの課題も市長の決断によって解決をしてきたに違いない。しかし課題は解決しても解決しても、次の課題がやってくる、賽の河原のようなものだ。
多くの人の意見に耳を傾けつつ、最後は一人で判断する。決断者は孤独だ。
【第十回新市建設計画策定小委員会】 午後は第十回になる新市建設策定小委員会が開催された。今回の議論の目玉は、新市建設計画のうち財政シミュレーションを行った結果と、そこから導き出される合併特例債による事業の選択である。
財政シミュレーションと言っても、今の段階では非常に大まかな計算しかできないし、そもそも多くの前提条件を設定しなくてはならないのだが、その前提条件のうち、職員数をどれくらいにするかでまず議論となった。
それはとりあえず合併で増える職員数を今度は何名減らすか、という議論である。減らす数を決めるのでも、もちろん根拠がなくてはならないのだが、近傍の同程度の人口の都市と比べようとしたが市の広さや集落の拡散の仕方が異なるために、簡単には論じられないと言うことになった。
そのためとりあえず90名の職員を減らすことで人件費を想定したシミュレーション結果ということで財政計画が示された。 しかしここで、委員の一人から、「その人数では減らす人数が少ないのではないか。もっと大胆なリストラをせずに、新市の財政が立ちゆかない、などというのはおかしい」という意見が出された。
実際に新市になってからの職員定数と職員数の管理については、新市の運営と経営の問題なので、あまりここで財政シミュレーションをする前提の数字にこだわることはないと思うのだが、その点で意見が分かれて、多少議論になった。
最後は、委員長のとりまとめによって「財政シミュレーションは事務局原案で了とするが、小委員会の付帯意見として『実際の新市の運営に当たっては人件費のなお一層の削減に努めて欲しい』という表現をつけること」で決着した。
※ ※ ※ ※
次に、これぞ重要な建設計画の中の「重要プロジェクト」と「合併主要事業」の選定の番である。
事務局からは、出負けの案1,2と、より現実的な案3,4の四つの案が提示された。
案3と4が議論の中心となったが、結果としては案3の一部修正という形で結論が出された。
この中で、「小笠山山麓の交流広場」については、20億円という当初の事業想定を大幅に引き下げて、なおかつ重要プロジェクトからは書きぶりを落として、主要プロジェクトに位置づけ直すことも合意された。
これである程度の方向付けもおおよそ定まった、と言える。
やはり問題は道路の整備に尽きる。今後県との協議がいよいよ必要になってくることだろう。
【街中再生の悩み』 夜には、商業関係の顔役の皆さんと市の幹部がフリートーキング的な会合を持った。
ここでの話題は主として合併と街中再生の問題。特に駅前の再開発ビルをどうするか、というのが最大の話題となった。
今日、街中への土地のニーズが減少する中、再開発ビルはいかにあるべきか。これまでは国の政策も、建物を建てるときの共益部分に補助金を入れる、というやり方で誘導してきたが、それだけでは事業成立性が不十分と言うことで、今度は経済産業省の方で「まちづくり会社が参画する」と言うことに対して補助金を更に出すという制度を作り、事業がうまく行くように誘導をしてきた。
これらも小泉政権の公約の一つである、都市再生の一環である。
ところが小泉政権の柱の一つである経済財政改革の一環として、補助金や交付税の見直しということが始まり、これらのまちづくり関係の補助金にもしわ寄せが来て、額や制度の見直し機運が高まりつつあるのである。
そのために補助制度もころころと変わる始末で、これから先本当に補助制度が我々の事業を支えてくれるのかどうかに不安を抱かせている。
さらに心配なのは実際にビルを建てて、そこにしっかりとした魅力ある商業テナントが入ってくれるかどうか、さらにはそこで商売を続けてくれるかどうか、ということである。
立ち上がりの時にいくら良い企業が入ってくれていても、何年か経った後に抜けてしまうようでは失敗なのだ。
しかしそうやってビルの経営やまちづくり会社の経営が軌道に乗るには何年もの時間を要するし、それまでの間、経済状況がどのようになるのか、どうも上向きになる予想が立てられないという現状で、事業に着手できるのかどうかが課題なのだ。
誰も未来を見通すことは出来ない。今日の文章の冒頭は英雄が歴史を作る、という物語だが、蛮勇と言われないためにはさらに慎重な調査と議論が必要だ。
難しい、本当に難しい問題だ…。
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