掛川奮闘記

2003年12月19日(金) 031219_尻餅のあった頃

【政策議会〜尻餅って…】
 掛川では12月議会を政策議会と銘打って、総務、文教厚生、経済建設と三つある常任委員会でそれぞれテーマを定めて、当局や議員同士で自由なフリートーキング形式による意見交換を行っている。

 今日がその政策議会の日。私は経済建設常任委員会担当なのでそこへ出席して意見交換に加わった。下水道や道路、農業など分野は多岐に亘るが自由に意見が交わせるのが良い。

 こういう機会がないと、総合的な市の行政の相互の関わりがなかなか見えないことだろう。実に面白い試みだと思う。

    ※    ※    ※    ※
 議論の内容に言及するのは避けておくが、下水道事業の意見交換を終えて会議が休憩にはいるところで、委員さんから「もう尻餅をつくこともないんだねえ」という感慨深げな発言があった。

 「尻餅ってなんですか?」
 「助役さんは尻餅はもう知らないんだねえ」

 「後ろにへたり込むことでは…」
 「ははは、違いますよ。昔はこの時期に、周辺部の農家の皆さんが肥(こえ)だめの肥をもらいに街中まで来たもので、その時には肥をタダではもらえなかったので肥のお礼にお餅をあげたものなんですよ」

 「へえ」
 「それでね、そのお餅を『(お尻から出る)肥のための餅』という意味で『尻餅』と言ったものなんですよ」

 すると横から別の議員さんも
 「昔はね、餅だけじゃなくて野菜とかも持って行ったものですよ」と話に加わってきた。

 「親父と大八車で桶一杯の肥を押して帰るんだけど、揺れてお釣りが来やがってさ、ははは!」
 「う〜、でもそれっていつくらいのことですか?」

 「そうだねえ、昭和30年くらいまでかなあ…。まあ古い話ですよ」

 昭和30年代に我が国には肥料革命と燃料革命が訪れた。そのため人は山へ入らなくなり、山が荒れ始めた…と言われるのだが、それ以前にはこういう苦労もあったのですねえ。

 化学肥料の登場は農作業を劇的に楽にしたに違いないのですねえ。それにしても「尻餅」とはねえ…。


【北海道から来客】
 北海道から昔の同僚が訪ねてきてくれた。東京まで来たのでついでに足を伸ばしました、とのことだ。

 ついでに年明けに北海道までまちづくりの講演に来てくれませんか、とのことだったので快諾して日程調整をする。

 二月上旬には招かれて北海道へ行くかも知れませんよ。もっとも長逗留は出来なさそうなのが、ちょっと残念かも。


【クリスマスパーティで蕎麦打ち】
 夜はグリーン・ロータリー・クラブのクリスマスパーティがあって、そこで蕎麦打ちを行う。

 完全に洋風のパーティ会場の片隅で蕎麦を打つ、というのもなんだか不思議な感じだが、食べてくれるというのだから一生懸命打つだけだ。

 普段の会合は旦那さんだけが出席して食事をするだけなのだが、クリスマスパーティでは奥さんも子供さんも自由に参加できるので女性の姿も多い。

 私の方は田舎蕎麦で1.5kgを打ち、更科粉に抹茶を入れた茶そばを1kg打ちました。もちろん、汁も自家製で作って持って行く力の入れようである。

 茶そばの方は、更科粉に抹茶缶の半分くらいの量を入れてみた。ちょっと多かったかな、と思うくらいの量で、練って伸している間は濃い緑色でなんだか粘土のようだ。

 端が割れてくるのを誤魔化しながら何とか細い蕎麦のできあがりです。

 パーティ会場は二階だったのだが、茹でるのは一階の調理場で、私自身が茹でるという、全てが自家製の蕎麦なのであった。

 一階のプロの調理場をお借りするのはちょっと気が引けたが、調理場の皆さんも最初のうちはどんなことになるのか興味深げでした。もっとも手伝ってはもらえませんでしたが…(^-^;)。

 蕎麦の盛りつけは会場の料理を出す女性達にも手伝ってもらいましたが、ちょっと汁が少なめだったかな。

    ※    ※    ※    ※

 作業終了後には私もパーティに加わって、蕎麦と料理に舌鼓を打ちました。

 会場ではチャリティが行われたりして賑やかな雰囲気。こういうパーティもたまにはよいものだ。

 会場のスタッフの皆さんには、幾らアトラクションとはいえ、いろいろとご苦労をおかけしました。ありがとうございました。


 それにしても、あれだけ抹茶を入れたのに、蕎麦としてはお茶の香りや風味があまりしなかった。二千円の抹茶缶の半分だから抹茶だけで千円分を入れたのに…。

 考えてみれば高い蕎麦だなあ…(^-^;)。ひー。


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こままさ