掛川奮闘記

2003年04月23日(水) 030423_共済の助役会議

【男女共同参画条例案の答申】
 約一年かけて、市民からのアンケートと市内からの委員、それに東京からお願いした大学の先生による男女共同参画条例の答申案が市長に手渡された。

 条例としてはこれを元にして、当局で最終の条例案を作成して、委員会などに諮られて、それから議会への上程となるだろう。

 「条例案をご自身でどう評価されますか?」と市長から訪ねられて、先生が答えるには「最近は男女共同参画の流れに対して日本中で猛烈なバックラッシュ(反動)が起きています。そんな中にあって、男女共同参画基本法の思想を過不足なく盛り込まれた点で素晴らしいものができたと思います」というものだった。

 さて、当局案を作成しなくては。

【共済助役会】
 午後には、伊豆長岡で共済組合による県内の助役会議が開催された。

 ざっと50人くらいは集まって、会議を行い、そのあとには講演会でした。今日の講師はNHKの平野治郎さん。

 お題は「どうなるこれからの日本」というタイトルだったのですが、どちらかというと世界情勢についての経験談が多かった。

 イラク戦争とブッシュの性格について触れていて、「ブッシュは演説の中で父のブッシュ大統領を『おれの父ちゃん(my dad)と言うほど大変なファザコンでして…」とか「彼の考えは、アル・カイダへの復讐、サダム・フセインへの復讐など、復讐という言葉でくくることができます」というきわめて単純な切り方をしていました。

 そこまで言うのならば、その反面でサダム・フセインがどれくらい残虐なことを平気でする男か、という情報も教えて欲しかったものであります。

     ※     ※     ※   

 一方で、東西ドイツの冷戦後の運命の別れみたいな話もあって、ベルリンが第二次大戦終了時に西側と東側に壁で隔てられて50年が経ったときのエピソードでした。

 分けられた当時は、西ベルリンの市民も東ベルリンの市民もバナナがどちらも食べられなかった時代であった。それが50年経ち、西側が給食に経済的発展をした今日、もはや西ベルリンの市民はバナナなど食べなくなってしまいました。もう魅力のある果物ではなかったわけ。

 一方東ベルリンでは計画経済と社会主義のもとで国づくりを進めてきたけれど、市場にバナナが並び市民が自由にそれを食べる社会にはとうとうならなかった。

 初めのうちは、西側の市民がバナナを喜んで食べている映像がテレビに映されると「これは西側の謀略映像である」として疑っていたのが、やがて「どうやらこれは本物の映像らしい。彼我のこの差はなぜ故であるか?これは体制の選択の違いに他ならないのではないか」ということで体制が崩壊して、東西ドイツの統合と言うことになった次第。

 東西ベルリンの間を隔てていた壁に穴が開けられ、市民が自由に行き来ができるようになった次の日には、西側の市場からバナナが全て東側の市民によって買い占められていてなくなってしまったのだそう。

 バナナで経済と体制をシンボリックに語るなかなか上手なお話でありました。

【助役懇親会】
 夜は宴会と懇親会。ここになると芸達者なK町の助役さんでTさんという有名な助役さんがいるのである。

 去年も一緒になって、その芸達者ぶりに舌を巻いた方。今年も一緒で良かった。

 この方もともとは寿司屋になりたかったとか、流しのお兄さんになりたくてお兄さんに弟子入りを申し入れて「客のリクエストに応えるためには3千曲の歌をギターで弾けて、歌詞も二番まではそらで覚えていなくては駄目ですぜ」と言われてあきらめたとか、45歳からピアノを初めて、今ではジャズバンドのキーボード奏者をしているとか、それはまあ芸達者なのである。

 喋らせれば笑いも取るし、もう二次会では中心人物である。

 久しぶりに思い切り笑わせてもらいました。


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こままさ