今年は記念すべき誕生日が続く。 今日は母の80歳の誕生日、 そして、明日は長男の誕生日。 長男と母はその差がちょうど半世紀。 そして、12月は私の誕生日。 私は長男のちょうど2倍(ここまで書いたら私の年齢がわかるのでちょっと複雑(ーー;)) これも、何かのめぐり合わせなので、忙しいと渋る母を招待することにした。 ほかの兄弟の都合の良い日を選んで、敬老も一緒にしようと16日に決定。 母へのプレゼントは赤いものセットも良いけどあえて選ばないで、 いつも母が書いている日記帳とほかにもいろいろを用意することにした。 母はずっと3年日記を使っている。 そして、事あるごとに私たちに言うのだ。 去年は今頃こうだった。 その前はこうだったと。 その母が3年前に私に言った。 ”もう以前の日記は全部処分したよ。 長いこと生きているといろんなことがあって、それを吐き出す場所が日記だった。 今となって、自分にそのときが来たときのことを思うと、残して行くのはやっぱりまずい。 もう、自分の胸に全部しまって証拠は焼き尽くすことにした” そうだね、と、私も思う。 楽しかったことや嬉しかったことは別に抜き出せるものなら残したい気もするけどそれらだって、 自分以外には意味のないことだしね。と。 でも、やっぱり母にとって3年日記は手放せないらしい。 今では、新しい3年日記を手元においてある。 かあさん、まだまだ元気だし、今度は5年日記にする? と、聞いてみたら、”5年は、長すぎ。そこまでとても生きられんよ” と、即座に答えながらも、 朝早くから畑に出ては”ああ忙しい!”と人の3倍もの運動量で動いている母ではある。 私は、 このエンピツ日記・・私自身が消えてもそれが突然だったとしたら、 エンピツ日記が存在する限り漂い続けることになるわけで・・・それもいつか考える日が来ることになる。
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