写真は、日曜日に選挙の帰りに出かけた公園でのしばわんこ。 桜の花びらが今日を盛りとばかりに舞い落ちていた。 公園のいたるところにお弁当を広げる家族連れが。 さすがにわんこは桜には興味がなさそうで・・・お弁当の玉子焼きを食べている家族のほうをじっと見つめていた 4月10日は亡くなった父の誕生日。 ”死んだ子の齢を数える”と言う言葉があるけれど、私はいつもこの日になると父を思い出す。 今生きていれば87歳。今の時代特別長生きという年齢ではない。 人の死にはいろんな形があるけれど、もしこの世に神様が居てその神様がそれぞれの死を決めているとすれば父の場合は前世でよほどの大悪人だったのではないかと思えるほどの酷い死だった。 小さいときから、働きづめにただ働いて、信じられないほどの無口な人で、 それならばいらないだろうとばかりにはじめに言葉を奪われ、 言葉を無くしたゆえに気持ちが優しくなったはずなのに、食べるという行為までも奪われた。 それから最後を迎えるまでの父にとっての試練は、母にとっても煉獄となった。 そのうちに思考する能力は幼児のそれになり、母がちょっとでも席を立つとものすごい不安に襲われる。 その後、父が亡くなるまでの壮絶といえる闘病の様子は、亡くなって今年で10年目なのにいまだに人に話すことはできずにいる。
|