□■ あたしのお教室 ■□
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はい、こんにちは。
昨日は神戸三宮に行ってきた。
結婚してから数年、新神戸の高校に勤めていて、当時はむすこっちたちも いなかったので、学校の帰りには、いつも三宮をうろうろして帰ったもんだ。
私と同期で入った体育の先生は筑波大を卒業したばかりの人で、かなりハンサムな人だった。 三宮に詳しい人だったので、時々、帰りに一緒にメシをしたりしていた。 親しくなってくると、彼女の話を聞かせてくれた。 「これは彼女からもらったキーホルダー」と言って、大事そうにそれを見せてくれた。 それは銭亀のキーホルダーだった。 「面白いもんをくれるんだね。」というと「ほんまに、おもろいヤツなんです。」と笑っていた。
年は私とそんなに変わらなかったけど、体育会系は、目上の人に対する言葉遣いなんかが きちんとしていて、酔っ払ってもそれを崩さないのがさすがだなと思った。
同じ世界史を教えていた女性の先生は、あたしが一番尊敬していた人だ。 京都から神戸まで通っておられた。 世界史と「丹田式正座」の時間を担当しておられた。 中国史が専門で、関西にあるあちこちの歴史関係の資料館に連れて行ってくれた。 糖尿病で、一緒になかなかお食事できなかったが、たまにドイツ料理の店にいくと一杯のビールを美味しそうに飲んでおられるのが印象的だった。
英語の先生で、勇ましい女性の先生がおられた。 世界史の先生と大親友。 電撃結婚、電撃妊娠、電撃離婚と、ご自分の人生を面白おかしく語られるのがとても楽しかった。 今でも賀状を交換する仲だ。 むすこっちの顔も見せに行った。
図書館の司書先生は、体の弱い独り者。 わたしは空き時間にはいつも図書館にいっていたので仲良しになった。 私が退職するときに、好きな本を持って行っていいですよ、とおっしゃって 私は、10冊ぐらいただでいただいた。笑。
常勤の先生もよく講師室にきては、休憩していた。
若い先生たちは、よく飲みに誘ってくれた。 お陰で私は夜の三宮、とくに東門筋の店をよく知っている。
九州から神戸に来て、こういうお仲間と最初に出会えたのは、とても幸運なことだ。
震災があって、なくなった先生もおられる。 もう消息のわからない方もいる。
神戸の街を歩くと、あの頃のことが、蘇ってくる。 あれがもう18年も前のことだなんて。。
町並みは、殆ど変わってないんだよな。 あそこにあの店があった、と思って行って見たら、ちゃんとそこにあったりして、感動もんだった。
しっかし、あのまま神戸にいたら、今頃どうなっていたのかなぁ。。
以前住んでいた家は、殆ど、全壊か半壊している。 震災後見に行って、背筋がぞくっとしたのを今でも覚えている。
人生ってどこでどうなるんだか、本当に、わからないよね。。
神戸は、やっぱり、私にとって、とても運命的な街なんだよね。 なんせ、結婚式もしたし。。笑。
そんなことを思いながら、ビルの14階から、街を眺めていたんです。。
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