消息






2005年03月08日(火)


 どうすればよかったのだろうかと、いつも後になってから考えるけれど、それは無駄なことなのかもしれない。結局次の機会を経てもまた同じことをわたしはおもうだろうから。それ以前に、わたしが「そうした」ということは事実として確然とそこに在って、もはやどうしようもないの、だ。それでも延々と考えてしまうのはそれがわたしにとって重要なことだからだろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


かげ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加