判決は主文を後回しにして、事件の事実認定と理由の朗読から始まったという。
主文を冒頭にするか、後回しにするかは裁判官の裁量で決まり、 暗黙の取り決めで、主文を後回しにする場合はほぼ死刑判決であると 最近知った。
それでも即日控訴されたので、 彼の死刑が決定してそれが執行されるのは まだまだ先の話になる。 彼が死刑になったとしても、残された人への癒しには程遠いだろう。
僕らは全ての事実を知ることはできない。 あの本の最後の話ではないけれど、 子供の頃から僕は、自分が死ねばその瞬間に 全ての事実を知ることができると漠然と感じていた。 それは、現在僕が知りたい事実を知ることができないことへの 言い訳なのかもしれない。
彼が起こした事件に対して出した結論は、 現在持ちうる人間の英知を最大限に使い、 事実をかき集めた警察官、検察官、弁護士、裁判官が出したものだ。
そして、死刑自体が法の名において行う殺人である。 彼が死刑になったということ自体を、我々は責任を持てるだろうか。 死刑の執行は絞首と決まっている。 一人の人間の殺人を、躊躇無く、全ての人間は行えるだろうか。 最後のボタンを押せるだろうか。
ここのところ刑法の本を読んでいるので、余計なことをいろいろ思う。
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高校の部活の友人と、それこそ10年ぶりぐらいに飲みに行った。 10年という時間は長くも、短くも感じられるいい飲みだった。 今年母校が改築工事に入るというので、夏のOB会には必ず来いと言われた。 もちろん、そのつもりだ。
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昼間はあれほど暖かかったのに、終電間際の駅までの道のりは少し寒かった。 それでも、都会の空気からも、もうすぐ春が来る匂いがする。
落ち着いたら、少し遠出するのも悪くないな、と思った。 春には、実はあまり良い思い出が無いのだけれど、 同じ空を見上げて、それが青空ならば尚更いいだろう。 ゆっくり生きている自分を感じられるだろう。 そのうちゆっくり話ができるようになるといいね。 ---
今日は上手くまとまらない文だね。ごめん。
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