第九。

年末が近づくと日本ではベートーベンの第九がはやる。
ベートーベンの交響曲第9番。
日本で一番ポピュラーなクラシックかもしれない。
「ベートーベンの第九?なにそれ??」
という人も第4楽章のフレーズ、
特に合唱部分は「歓喜の歌」として知っている人も
多いのではないだろうか?
そしてクラシックの中では私の一番好きな曲でもある。

初めて聴いたのは小学校の音楽の時間だったろうか?
やはり“歓喜の歌”だった。
その時はこの曲が格別気に入ったわけでもなかったと思う。
他のクラシックの曲とかわらない程度の興味しかなかったはずだ。
それが証拠にその頃好きだったクラシックの曲は
グリーグの組曲「ペールギュント」の中の“朝”や
ヴィヴァルディの“四季”という曲だった。

その第九が好きになったのは友人が所属していた
大学のオーケストラの演奏会に招かれたときだ。
初めて生で聴くオーケストラの音と
渾然一体となった合唱に鳥肌が立ったものだ。
以来、クラシックの中では第九が一番好きな曲になった。

やがてCDを購入。
カラヤン率いるベルリンフィルの力強い演奏のものだ。
ドイツらしい堅さを残しながらも曲全体を繊細に織り上げていく
カラヤンの指揮は雄大でこれぞ第九の決定版だと思っていた。

ところが、である。
カラヤンなど足元に及ばない指揮者がいたのだ。
友人に勧められてその第九を聴いたときは衝撃的だった。
カミソリの刃のような緊張感と題名そのままの歓喜に満ちた指揮。
静と動をたくみに織りまぜたその指揮をとっていたのは
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという指揮者。
音はモノラルだし、録音年代も古い。
1951年、戦後初のバイロイト音楽祭で録音されたものだ。
当然音質も良くはない。
私はステレオで最新録音の方が音も綺麗だし
演奏も上だと思っていた。

しかし、新しいものがすべてにおいて良いというのは
単なる信仰に近い妄想でしかないと知らしめてくれたのがこの指揮だ。

少々音が悪かろうとライブ録音のため観客の咳が混じろうと
その指揮を損ねる要因にはなっていないのだ。
静かに、だが、ただならぬ緊張感を伴って始まる第一楽章から
第四楽章最後の天に突き上げていくようなエンディングまで
気持ちよく聴けるのである。

この演奏を聴いてしまうと他の指揮者の第九が聴けなくなってしまった。
生ぬるいのである。
カラヤンの指揮ですら生ぬるいのである。

しかし・・・
音源が残っているだけでも感謝しなくてはいけないのだろうが
できることならば、自分の耳で聴いてみたかったものだ。
あの時代にこの曲を生で聴けた人達が本当にうらやましい。



↓過去日記(別名「恥さらし」ともいう(笑))もついでにどーぞ♪
2002年11月20日(水)

幾瀬の星の煌めき / やまぴぃ

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