あお日記

2002年11月18日(月) 葬列


 1992年の春はいっちゃんと舞ちゃんが高校を卒業する時期だった。同時にハマちゃんや住吉などが最上級生となる必然に何か違和感を感じつつ、その3月に面々と再会したのは、我が部の顧問である国語教師が亡くなったからだ。
 19歳になりたての私は当然ながら喪服を持つ必要など感じずにやってきたので、着心地にむずがゆい違和感のある紺のスーツを着た。ネクタイの締め方が分からないので校門の前で住吉に締めてもらうその眼前を、生徒たちが先生の家に向かってゾロゾロと歩いていった。その姿は私の記憶に残っている普段の登下校風景と何ら変化はない。

 彼の自宅が学校に程近いので生徒が大勢やってきている。だださすがに現地は賑やかな雰囲気ではなかった。ラザや住吉ら2つ下の後輩たちと雑談しながら現地までやってきたのだが、嫌な事に(笑)、着いてすぐ私の目に飛び込んできたのは1つ下の後輩たち、言うまでもなくいっちゃんと舞ちゃんのツーショットだった。人間関係の利害に疎いハマちゃんが2人を見つけて一言声をかけたが、そんなものまるで興味がないように変に強がった感じで、彼女らと目の合った瞬間の一瞥以外は2人の姿を確認する気にならなかった。

 おそらくそれはいっちゃんが部から身を引くことを告げた日以来であっただろう。私たちが気付く前に彼女らはこちらに気付いていたのだろう。1年以上のギャップがあるいっちゃんのまっすぐな視線はあの秋と何ら変化なく、申し訳なさ気だった。3月ではあったが、快晴のとてもあたたかい陽気に不釣合いな時間だった。瞬間的に凍った自分の表情が分かったが、それでも自分ではせいいっぱい表情を変えまいとしたつもりだ(笑)。見覚えのないいっちゃんの伸びた髪の毛がとても不似合いだった。そんな主観的なことしか頭に浮かばないことが冷静でないことの証だ。

 
 思えば私が文章を書くきっかけになったのがこの国語教師の授業だった。高2の三学期、私のクラスだけ国語の授業は文章表現のテキストを進めることになった。なんでも彼かそれに参画しているらしく、その背表紙の裏にゴシック体で彼の名前が記してあった。もちろんそのテキストも手元にあって捨てられないでいる(笑)。
 その授業は私にとってとてもタイミングが良かった。嶋さんに書くことを思い止まるもどかしい日々の鬱屈を素直に吐露できるテーマが多くて、もちろん言葉は選んだのだが、有効な書き方の基本を楽しく学んだ。そんな結果、3学期の成績はすこぶる良かった。発表などはしたくないのだが、先生のご指名だから仕方がない(笑)。それまで全く範疇に無かった文芸部への入部が私の中で現実味を帯びてきたのがこの時期だ。そしておそらくはこの日々が無ければ今ここにいる私もその人間関係も変化していることだろう。幸福か不幸かの細かい判別はともかくとして、おおざっぱに言ってしまえば、この教師に出会ったことが私の学生生活で最も有意義に思う『先生』との出会いだろう。



 < 過去  INDEX  未来 >


あお [MAIL]

My追加