曇天の下で見かけた杏さんの姿を最後に、私は彼女と接触する機会すらなかった。いや、あつかましくなれば部室に顔を出せば遭遇する機会は多分にあったはず。ただそういう「一路邁進」という気分になるような性格ではなかったし、とにかく私は熱するのも早いしその逆もしかり。3年生の卒業式まで指を数えつつも晴れ晴れとしない気持ちで足が彼女に向かって進みはしなかった。
まあその程度で見切りをつけられる気持ちなら動かないほうがいい
というのは私のよく使った言い訳。そんなことを繰り返しているうちに気がついたら動くことを忘れてしまった。小学生の頃、クラスメートにラブレターを書いてから、いったい私はどれくらいの人を好きになってそして誰を好きになっても同じような言い訳をしてやり過ごしてきたのか? 今思うとな〜んかもったいない気がいっぱいします(笑)。
私は久々に嶋さんに手紙を書きました。彼女の返事はいつも短いのですが、小さな字で簡潔に文章を書く人でした。久しく見ていなかった彼女のその文字が語っていることが果たしてどれほどの本心を含んでいるのか判断のしようはありませんが、少なくとも当時の私にそのようなことを探る必要性などなかったし、彼女を人間として疑う要素など全くあるはずもなかった。 私は彼女のくれようとした一層の友好、その可能性に簡単に背を向けてしまった。彼女の示す私への親密さの文字列が駆り立てた行動は、当時の自分からすればごく自然発生的なものだった。
彼女の返事をもらってから私は一心不乱に日記を書き始めた。自分にとって「大切なこと」を相手に伝えるためにまず日記に下書きをする習慣が出来たのはきっとこの時からだ。
杏さんの卒業式の日、私は部室で彼女に会ったはずでした。ただ私の中でチケットを渡す相手が嶋さんに変わっていたというだけで、何の変化もないよく晴れた卒業式でした。
その晴れの日にも、私の好きになった杏さんの表情があの頃に戻った気はしなかった。
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